さすがに式中、絶対マジメにしていなければいけないところでは、ふざけないという線引きはしています。教師と生徒のギリギリのせめぎ合いですね……。仮装も、やめとけ、という話はしているんです。
ただよく考えてみたら、ちゃんと社会にでて、世のため人のために尽くせる男になったらいいんです。華厳経に「一切従心転」という言葉があります。価値観や感性などは人の心の持ち方によって変わる、という意味です。卒業式くらい自由にやったっていいと思いません? 勉強するときは勉強する。弾けるときは思いっきり弾ける。「緊張と緩和」という東大寺らしさをおさえておけばいいんです。学校側としてもそれを受け入れる度量のでかさ、みたいなものは持ち合わせていたいと思っています
――ほかにも高3になると、水風船を投げ合うイベントがあると聞きましたが。
学校公式イベントではいっさいないのですが、受験学年を迎えた高3のまぁ一種のガス抜きですよね。中庭に集まった高3が2チームに分かれてファンファーレと共に数百個の水風船をバンバン投げまくって戦ったんです(リンクは2012年の様子)。それを後輩たちは観戦している。当時の教頭に見つかったときは「怒られる!」と思いましたが、教頭も「おもろいやないか!」と写真を撮っていたのは笑いましたけど(笑)。
とにかく、自由な学校です。修学旅行の行き先も決まっていない。毎年、投票制です。やっぱり何かユニークなことをやりたいと思っている生徒たちですから、「かつて先輩が行ったところには行きたくない」という気持ちがあるのかもしれません。昔は、「そもそも修学旅行に行かない」という結果になった学年もあったそうです。
こんな校風ですから、親からしたら、ちょっと心配なこともあるかもしれません。そりゃそうです。今までかわいい子どもと二人三脚で中学受験を突破してきたわけですから。親としらた入学してからも、手取り足取り面倒見て欲しいのもよくわかります。
ですが、入学直前の事前説明会で、「そういうことを言わないでほしい」とはっきり申し上げます。手取り足取りの面倒見は、東大寺でいちばん育てたいと思っている「自主性」という中核の部分を損なうことにもなりかねませんから。
「ママ~」から「オバハン!」 子どもの成長は早い
――なるほど、親の意識の転換が必要なのでしょうね。
ええ。子どもの親離れはスムーズなのです、新しい友達付き合いや部活での先輩後輩の関係など、新しい環境に入って否応なく、視野は広がりますからね。でも親からしたら子どもとの距離が急に遠くなった気がする。子どもの成長はあっという間ですから。気づかぬうちに子どもは急激に成長しているんです。なんせ、中一の時は「ママ、お母さん」と声変わりしない声でなついていた子どもが、だんだん低い声になってヒゲも生え始めて、しまいには「オバハン」と呼ぶようになるのですから(笑)。