45歳東大卒シングルマザーの重すぎる試練 「激しいパワハラのせいで障害者になった」

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2007年、転職して2年目、ストレスの多い日々を過ごしているうちに体調がおかしくなった。

「週末は頭痛とかで寝込んでいましたし、お腹が痛い。普通じゃない痛さ。医師の知人らに相談すると皆そろって胆のう炎ではないかと言う。お腹が痛いときは、必ず前兆で激しい頭痛が伴う。基本的に頭痛と腹痛はよくなることはなく、我慢しながら働いて2008年1月ごろから胆のうの辺りが本格的に痛くなった。休日はぐったり疲れきって、頭が痛くて動けなかった。子どもの授業参観も痛くて行けない。仕事以外、いつも寝ていました」

体調が悪くなっても、職場のパワハラは続いた。上司や上層部は井川さんを集中的にイジメ続け、子どものために定時に帰ると勤務態度をののしった。シングルマザーなので、辞めるわけにはいかない。頭痛と腹痛の前兆が出ていたが、肉体的にも精神的にも我慢に我慢を続けた。

「最終的に壊れたときのことは覚えています。総務部長に代休振替を頼んだ。“私の振り替え休日どうしたらいいでしょう? ”って尋ねた。“は、捨てろよ? ”と言われて、その瞬間に突然ポンって熱が出た。確か部長たちは大きな声でホステスとかゴルフの話をしていた。そんな話を聞きながら、スイッチを入れたように熱が出て倒れてしまったのです」

2009年3月。井川さんの健康は、その日から戻っていない。

「39度の熱が、いつまでも38度までしか下がらない。翌日、発熱を報告すると、組織最大の収入源の担当に任命され、無理に仕事を続けました。最初は運動不足と思ってジムに行ったり、ウォーキングしたり。それで、ますます悪化。羞明(しゅうめい)というけど、目がおかしくなってまぶしい光に痛みが走るようになって、運動しても筋肉がげっそりと落ちるばかりで、体温調節ができなくなったのもその頃です」

だんだんと筋力が落ち、手が使えなくなり、足も使えなくなった。手が震えて、ペンもコップも満足に持てない。悪化は続き、現在は長時間座位を保つのも難しい状態だ。入浴も食事も1人ではできない。頭痛と目痛、全身の痛みは治まらない。パワハラが原因と思った。悔しくていくら涙を流しても、壊れたカラダは戻ってこなかった。

170万円の「返金」を迫られた

2010年8月に倒れて休職し、そののち解雇。社会保険の傷病手当金と児童扶養手当で生活をする。しかし、いつまで経っても回復しない。2011年に障害認定を受け、障害年金を受給する。するとすぐ児童扶養手当、そして、だいぶ経ってから傷病手当金の返金を迫られた。失業保険を頼りたかったが、就労できない身体状態とされ、支給されなかった。

【2月14日13時50分追記】初出時、「雇用保険の傷病一時金」と記載しておりましたが、「社会保険の傷病手当金」の誤りでした。お詫び申し上げますとともに、訂正させていただきます。

「ギリギリの生活だったので、170万円の返納はパニックになりました。持つおカネを全部払っても足りない。私は1日1食だけにし、せめて子どもだけ最低限にと願っても、1つの菓子パンを3人で分ける、みたいな生活です。それと障害年金と児童扶養手当の併用ができない。それがここ数年の生活が苦しい原因です」

生活苦に涙を浮かべる。傷病手当金の返金はまだ終わっていない。

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