歩くことすらできない。2人の子どもに親らしいことをしてあげられない。謝ってばかりだった。利用できるサービスがないかと区役所に問い合わせるたびに「子どもを施設に入れろ」と言われる。井川さんは何十回とその提案をされたが、拒絶を続けている。
「今の日本は一人親で病気になって、こんな全介助みたいになったら子どもは施設に入れろって社会です。カラダは動かないかもしれないけど、私はまだ考えられるし、感情もある。ヘルパーの方の手を借りれば、まだいろいろなことはできる。全身痛くて毎日、毎日苦しいけど、私が子どもたちにしてあげられることは、勉強を教えてあげること。長男が中学2年、長女が小学校5年のときから、私が勉強を教えてきました」
長男は都立最難関校に合格し、現在そこに通っている。母親と同じ東大を目指しているという。
「毎日のように死のう、死にたいって思っていたけど、受験を乗り越えて子どもが元気になった。長男は希望の高校に進学してから、自信に満ちてきた。それまではいつも引っ込み思案で、自信がない僕っていう感じ、すぐに涙が出ちゃうみたいな。長男が元気になったら、長女も笑顔で頑張りだして、今は本当に子どもに励まされながら生きています」
行政の助言は「子どもを施設へ入れろ」ばかり
再びカラダが震えだした。寒いようだ。小さな声はさらに小さくなり、そろそろ限界だった。自宅は徒歩圏だが、体力のない彼女がここまで来るのは大変な労力だ。この取材に応じたのは、おそらく制度に言いたいことがあるからだ。最後に聞く。
「子どもたちにとって、障害のある親が子どもを育てるサポートがほとんどゼロなこと。現在に至っても、児童相談所も子育て支援課のソーシャルワーカーも“子どもを施設へ入れろ”ばかり。障害がある親が子どもを育ててはいけないと、制度側の人たちは思っています。それはおかしい。障害のある親が子どもを育てると、苦しめられることばかり。私は全介助みたいな障害者だけど、子どもと暮らしたい、親として生きたいのです」
自分ではコートを着ることができない。ヘルパーの女性がやって来て、慣れた手つきで着衣する。湯たんぽを背中に入れ、背もたれを起こして電動車椅子はゆっくりと動く。公営団地まで20分ほどかかるという。
暴力ですべてを奪われた。最後に残されたのは、一緒に生きる子どもだけ。日本最難関の大学院を卒業した頭脳があっても、健康を取り戻すまで頼るものは社会保障しかない。排除しないでほしい、彼女はそれだけを言っていた。
記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
印刷ページの表示はログインが必要です。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
無料会員登録はこちら
ログインはこちら