イタリアを目指す「難民」の知られざる素顔

映画「海は燃えている」の監督が語る

通訳者の髪を頭にかけて「こういうヘアスタイルもいいだろう?」とおどける監督。シリアスな作風ながら、どうして終始陽気なのか。それは最後まで本文を読めばきっとわかる。

文句を言ったり、抗議したりすることは一切なかったんだ。国境に壁を作ろうとするような空気が世界で醸成されている中で、なぜこの島が門戸を開き続けているのか。長く難民を診察してきたバルトロ医師に聞くと「ランペドゥーサが漁師の島だからだ」と。つまり、海からやってくるものは何でも受け入れるべきだ、というのが島の人々の考え方なんだね。

でも、政治情勢が変わり、地中海の難民の死者数が増加していることや、テロリストが島からイタリアに入国したといったニュースが報じられるようになり、ランペドゥーサ島に対するイメージも悪化し始めた。そうすると、島の人たちはメディアに対して警戒心を抱くようになった。だから、僕が島を取材した時も、島民の信頼を得るのにすごく時間がかかったんだよ。

僕はこの映画で、漁師や弱視の少年、自宅をラジオ局にしている母と息子のような島の人たちの内面も描くことで、「難民たちの姿」だけでなく「難民を取り囲む全景」を描きたかったんだ。島の人々は、何か特別な意見を持っているわけではなく、世界中の人々と同じように考えている。完成した映画を島民に観てもらったら、「難民の収容センターには行ったことがないなあ」と言う人がたくさんいたほどだ。

このエピソードからもわかるとおり、ランペドゥーサ島はまさに世界のメタファーなんだ。身近に難民がいるのに、彼らとの接点がない。玄関口であるこの島でさえ、断絶されている。島には、かろうじてバルトロ医師がいる。けれどヨーロッパ、そして世界には、彼のような人はいない。

1万回のインタビューに匹敵した「3分」

──難民の男性が、島にたどり着くまでに起こったことをチャント(詠唱)するシーンがありましたね。あの歌は、彼らの想像を絶する体験が映像として浮かび上がってくるような、とてもパワフルなシーンでした。

あれは、僕と彼らに信頼関係ができつつあったからこそ撮れたシーンだった。難民たちは島に2、3日しか滞在しないけれど、僕はたまたま湾岸警備隊が彼らを救助する瞬間に立ち会えたんだ。転覆して亡くなった人たちもたくさんいた。波が強くて船が揺れたのでカメラは回せなかったんだけれど、その時に救助された人たちとは、港に着いてからも、収容センターに移送されてからも、対話を続けた。すると、翌日に神への感謝の儀式をすると言うので、撮影してもいいか依頼したらOKされた、という次第だったんだよ。

部屋に行ってみると、狭くて暗くてね。うまく撮れるかわからなかった。けれど、そんな環境でゴスペルともラップとも言えるような、何か強いエネルギーに溢れたチャントが始まった。たった3分ほどのシーンだけれど、アドリブで歌われた彼らの旅路は、1万回のインタビューに匹敵するほどのパワーを持っていると思う。この映画は、言葉を失うような体験をしてきた彼らが島に上陸し、フットボールをしながら束の間の安息を楽しむ瞬間を切り取る一方で、死の瞬間も描いている。どちらの側面も、彼らの真の姿なんだ。

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