多くの人が知らない「諦める」の本当の意味 悩み、苦しみを減らす「仏教の智恵」
小学校からやってきたテストも、目先の良い点数を取るのが目的ではありません。テストの目的は「わからない所をはっきりさせる」ことです。80点取ることが目的ではなく、間違った20点について勉強し直すことが目的なのです。ここをはき違えると、誰かさんのように良い点数を取った時だけ親に見せるずるい子どもができあがるという寸法です。
状況を明らかにする勇気
人間関係が面倒だと思う人も多いでしょう。そんな人は、自分がどんな人間関係を望んでいるのかをまず明らかにしてみましょう。
たとえばもっとさっぱりした人間関係を望んでいるが、それができないとします。その場合、なぜつらいのかを分析し、明らかにします。
本音と建前が違う人が周囲に多くいる、他人に依存したい人が多くべたべたした関係になってしまうなど、いくつか思いあたる原因があるでしょう。
そこから、ではなぜそうなるのかを考えてみるのです。「人は思っていることをそのまま言えば大変なことになるから、思っていることと言うことが違うのは仕方がない」「弱ければ他人に頼ろうとするのは当たり前だ」などと明らかになるでしょう。そうすれば、人間関係が面倒なのは仕方がない、人間関係がごちゃごちゃするのは当たり前だと、少しは諦められるのではないでしょうか。
そこにどーんと腰掛けて、人間関係を楽しめるようになります。これが「明らか」にして「諦める」ということです。
“損得”という言葉を日常の中で使ってしまう人も、苦が多くなるでしょう。なぜなら、損得で動く人は、得をするためには人も裏切ることがあります。そんな人を信用する人がいないのは当たり前です。損得は経済の用語であって、人生に当てはめても仕方がないのです。
このように、物事が明らかになった時のキーワードが「仕方がない」や「当たり前」という言葉だと思うのです。私は「あきらめる」ための魔法の言葉だと思っています。
中途半端な諦めではなく、物事の真相を明らかにした上で諦めたことは、堅固な屋台骨として人生を支え、心おだやかなに人生を歩く上で堅牢な杖になります。
同じ諦めるなら、ただ諦めるのではなく、状況を明らかにする勇気を持ちたいものです。
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