なぜこういうことを言えるかというと、われわれ当時を振り返るに、丸紅の上司はきちんとモチベーションを与えてくれたので、われわれは何一つ不満を持つこともなく、むしろ夜中の12時に終電で帰るとき、「ここまで仕事をやり遂げた」、という大変な満足感があったのです。
「今お前がやっている仕事は将来のこういうヴィジョンに対してお前にとって絶対に必要な知識と経験になる。だからそれを今積み重ねなさい」と明確に指示してくれました。そうやって明確な指針を与えてくれれば、あとは簡単でそれに向かってひたすら走るだけですむ。野球でいえばちょうどバットの素振りのようなものですよね。その素振り、何の意味があるんだ、ということを明確に提示できるコーチがいなければ、そんなもん、単なる筋肉運動に終わるわけです。
素振りに意味を持たせる上司の責任は、われわれのような会社と違ってサラリーマン世界においては非常に重いのです。マネジメントのみなさん、本当にそれを理解していますか?? 今頃理解できない、というのであればその方々は1980年代の丸紅のマネジメントの方よりはるかに低レベルだ、ということになります。
ただし、そうはいってもモチベーションが上がれば何でも許されるということではありません。当然のことながら、体力的に続けられない人も出てくるわけですから、その場合は、自らの責任において部下を「下山」させるという度量も持ち合わせていなければなりません。ワタクシの当時の上司はすべてそういう人でした。
顧客側や消費者に回ると傍若無人に振る舞う日本人
2つ目の本質的な問題を考えて見ます。マネジメントのミスコントロールという点以外に問題があるとすると、それはやはりクライアントの問題だということです。電通、というと一見大会社で華やかなイメージがありますが、関係者などの仕事ぶりを見ていると、はっきりいって広告を出すクライアント企業のいわば「奴隷」になっているのではないでしょうか。これははっきり言っておきます。要するに「お客様は神様です」を言葉のまま、究極まで行ったような姿が電通などの広告代理店の仕事だといえるでしょう。
亡くなった女子社員が気の毒だな、と思うのは「そういう業界だ」ということを知らずに、広告がやりたいから、という純粋な理由で入社してしまった可能性があることです。誰かが「お前、わかってるのか」とアドバイスしていれば人生は違ったかもしれない。それができなかったとするとゼミなどの担当教授は教育者として「失格」だった、ということにもなるかもしれませんが、ここでの本論ではありません。
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