「自主避難」3.2万人、住宅支援打ち切りに悲鳴

生活問題は逆に深刻化、終わらない原発被害

女性は6年前に乳がんの手術をし、現在も抗がん剤治療を続けている。33歳の長男と2人暮らしだが、長男は職場での人間関係がうまく行かず、自宅に引きこもりがちだ。現在は会社勤めをする女性の収入によって家計を支えている。

「仮に4月以降も住み続けることができたとしても、新たに家賃が発生する。聞くところによれば、国家公務員宿舎の家賃は最高で5万3000円余り。共益費も駐車場代も新たに発生する。今の給料では生活が成り立たない」(女性)という。

かといって南相馬市に帰ったとしても、今までと同様の治療を受けられる病院はない。「一家を支えられる職場を見つけることも難しい」(女性)。

「帰りたくても帰る場所がない」

千葉県松戸市内の民間アパートで避難生活を続ける髙田良子さん(68歳)は、「帰りたくても帰る場所がない」と話す。南相馬市原町区の自宅は避難している間に土台やたたみがダメになった。すき間からネズミなどの動物が侵入し、泥棒による被害も受けた。髙田さんの自宅は山あいにあるため周辺の放射線量が除染後の今も高く、取り壊して新たに建てる資金もないという。

現在、髙田さんは避難生活を続けるかたわら、松戸市内のボランティア団体が運営する東日本大震災被災者の交流サロン「黄色いハンカチ」の副代表を務め、境遇を同じくする被災者に寄り添う。サロンでは自主避難者の切実な声にも耳を傾けるかたわら、髙田さん自身、「この5年9カ月はとりあえずの毎日。いつになったら、落ち着いた生活に戻ることができるのか見通しも立たない」。

東日本大震災の被災者を支援する松戸市内の交流サロン「黄色いハンカチ」(写真:記者撮影)

自主避難者はともすれば、「自分の責任で避難してきた人」と見られがちだが、実態は違う。原発事故直後、南相馬市では原発から20~30キロメートル圏内の原町区の住民に向けて、市外への脱出を呼び掛けた。当時、「屋内退避」エリアだった原町区には、食料や医薬品も届かなくなっていた。町中を、自衛隊のトラックが行き交い、大型バスで脱出する住民が相次いだ。前出の女性は、自家用車で長男とともに避難を開始するまでの間、言いしれぬ恐怖にさいなまれたという。

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