日本を「1人あたり」で最低にした犯人は誰か 「世界最高の労働者」を活かせないという罪
まず、「あなたの会社の生産性は、こうすれば上がります」などという魔法の杖は存在しません。各企業が抱える問題はそれぞれですから、対応策も異なります。私自身、小西美術工藝社という300年以上続く会社の経営者として日々生産性向上に努めていますが、うまくいくことばかりではありません。さまざまな抵抗や反対にあい、改革が遅々として進まないことも珍しくありません。
ですが、ひとつだけはっきりしていることがあります。それは、「生産性が相対的に下がったのは、誰のせいか」ということです。「誰が生産性向上の責任を負っているのか」と言い換えても構いません。
生産性低下の犯人は「長い会議」などではない
記事に対するコメントを拝見していると、「犯人探し」が盛んです。たとえば「会議が長い、根回しが大変、働き方が非効率。だから日本は生産性が低い」という意見がありました。たしかにそれらは日本の特徴かもしれませんが、別に今に始まった話ではありません。日本の生産性の伸びがほぼ止まったのは1990年代からですので、説明要因としては不十分でしょう。
他にも、「画一的な教育が悪い」という意見もあります。かつて日本の教育は、「世界一勤勉な労働者を育成している」と高く評価されていましたが、最近では「個性やクリエイティビティを養うことができない」と言われ、さまざまなところでやり玉に挙がっています。
私は日本の教育を受けたことがないので、日本の教育制度の是非を論じることに抵抗がありますが、外国人の視点から言わせていただくと、このようにかつて良いとされていたことが時代遅れと批判される現象の根底には、「経済の停滞」があるのではないかと考えています。これは世界的にもよくあるパターンです。
たとえば、英国経済が低迷していた時代、私の母校でもあるオックスフォード大学は痛烈な批判に晒されていました。「アカデミズムに偏りすぎで卒業生はビジネスに向かない、社会で本当に役立つことを教えていない」という、どこかで聞いたことのある批判がなされていたのです。
ですが、経済が好転した今、オックスフォード大学の評価は180度変わり、2016年には「世界一」と言われるまでに復活しました。では、オックスフォード大学は何か変わったのでしょうか。いえ、オックスフォード大学の制度も文化も、12世紀からそれほど変わっていません(もちろん、多少の「調整」はしています)。にもかかわらず、経済が好転すると「成功の主要因」のように語られるのは、興味深い現象です。
日本の教育に関する議論にも、同じことが言えるように思います。もちろん、日本の教育に何も問題がないとは言いませんが、それを「生産性停滞の犯人」と決めつけるのは、冷静に考えれば早計だと思います。
また、「日本人が勤勉でなくなった」という意見もあります。こういった人は、「働く人ひとりひとりが生産性を意識しなければいけない」という主張になりがちです。
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