バルカン流浪の道は、「留置場」と化していた 「バルカンルート」に漂う難民たち<前編>

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アフガニスタンから来たフセドールは、さらに別のルートをたどってきた。

「トルコからは北へ。ブルガリアを抜けてセルビアだ。クロアチアにも入ったけど、ハンガリー国境は越えられなかった」

いろんな来歴を聞いたが、全員に共通していたのはアジアの祖国を出発したあと、トルコからバルカン半島を通ってこの難民キャンプに到達したことだ。そして、だれもかれも口を突いて出る言葉が同じだった。

「教えてくれ、国境はあいたのか。ハンガリー国境はいつあくんだ !」

大量の人が中東から欧州へ

フェンスで囲われた町外れの収容所で、長い難民生活が続いている(写真:木村 聡)

2015年、中東などから難民が一気にヨーロッパに流れ込んだ。その数は今年にかけて100万人とも、150万人以上とも言われる。

続くシリアの内戦に、イラクやアフガニスタンなど各国で頻発するテロ、そうした中東の政情不安よって潜在的に増えつつあった難民の流入だが、ある事件をきっかけにいっそう加速する。

昨年9月、トルコの海岸に男児の遺体が漂着する。シリア難民を乗せたボートが地中海で転覆し、彼も犠牲者のひとりだった。クルディちゃん(当時3歳)の遺体は波打ち際で警官に抱えられ、その姿が写真とともに報道されると、難民に対する人道支援の声がEU内で大きくなる。

悲劇の3日後、ドイツ首相メルケルは「シリア難民らを無条件で受け入れる。上限はない」と表明。この一言が契機となった。大量の人の波が中東から欧州へとうねり出す。

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