バルカン流浪の道は、「留置場」と化していた 「バルカンルート」に漂う難民たち<前編>

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ハンガリー国境近く、セルビアの難民キャンプはあくまで一時的なものに過ぎない(写真:木村 聡)

セルビア・ハンガリー国境で足止めされているアフドアたちが母国を出たのは、そのメルケルの受け入れ発言を聞いてからだった。

爆発的に難民の移動が増えた出発の時期、さらにはヨーロッパにいつ到達したかが、その後の彼らの境遇に影響を及ぼすことになる。

中東アジアからの難民の多くが目指すのはドイツ、またはイギリスやフランス、北欧といった経済的に豊かなヨーロッパである。そのため難民たちはほぼ同じ道程をたどった。

閉じた“バルカンルート”

まずトルコから小型ボートで海を渡るなどしてギリシャへ。次に陸路バルカン半島諸国を北上し、ハンガリー、オーストリア、ドイツへと至るものだ。この“バルカンルート”とも呼ばれる移動経路を使い、難民の8割以上が西側諸国を目指したとされる。

通り道となったマケドニアやセルビア、クロアチアといったバルカン諸国は、当初、南の国境を越えて入国する難民を、自国の北の国境までバスや列車で運ぶ対策を施した。難民が国内に留まることを嫌い、すみやかに他国へと送り出すのとともに、移動経費を難民から徴収することでビジネスにもなった。

しかし、難民たちが押しかけた西側諸国が音をあげる。欧州各地であふれ返る難民たち、彼らが引き起こす住民たちとのトラブル。さらにはフランスやドイツなどで相次ぐアラブ人がらみのテロ。EUは今年3月になって、バルカンルートの閉鎖を宣言する。積極的な受け入れから難民抑制策への転換だった。

EUはトルコに資金支援を約束し、同国にギリシャへの密航者を送還すると発表。難民流入の玄関口を事実上、遮断する。同時に、受け入れる難民を加盟各国に割り振ることで、深刻化する「難民危機」に対処しようとした。

ただし、各国の足並みがそろっているわけではない。メルケル・ドイツの難民の受け入れ表明もスタンドプレーだったが、難民割当制度についても、トルコとの合意もドイツ主導で行われ、欧州各国の総意ではない。

メルケルの再度のスタンドプレーに多数の国が反発する。特に直接バルカンルートに接するハンガリーは難民割当案を拒否し、南の国境に鉄条網のフェンスを巡らして難民排除の実力行使に出た。

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