松井社長はそんな父親の下、1階があなごの加工所、2階に松井一家が住む、という職住接近の環境で成長します。自然とあなごが大好きになり、あなごの帽子を被って「さかなクン」ならぬ「あなごクン」として、堺のあなごのPRに努めています。
あなごで一番大事なのは脂ののりと鮮度です。生けあなごは、生簀(いけす)内での日数、温度の管理を徹底。韓国にもあなごの開き技を教え、冷蔵輸送形態を細かく指示して、最高の状態であなごを仕入れるようにしています。
おいしいあなごは、頭が小さくて顔がふっくらで首がない。言わばお相撲さんタイプが最高、と松井社長は言います。その逆がモデルさんタイプ。やせていて首が細いものはおいしくないそうです。
午前1時、松井泉のあなご作りは始まります。1階ではあなご職人が生けあなごをさばき、2階では一定期間冷蔵庫で熟成したあなごを白焼きにした後、秘伝のダシにつけ込みさらに香ばしく仕上げます。そのダシは、あなごの頭を焼いてだしを取ったもので、食後に深い余韻を残す松井泉オリジナルです。
堺をあなごの町として売り出す
松井社長は、弱冠33歳の若さで父親から社長を引き継ぎました。これからあなごをどう売っていこう、と思っていた矢先、知人のフードライターから耳よりの話を聞きました。美食家で有名な北大路魯山人が堺のあなごを褒めている、というのです。調べてみるとその著書『魯山人味道』に「あなごのうまいのは、堺近海が有名だ。東京のはいいと言っても調子が違う」と書いてありました。これぞ希代の美食家の折り紙付き、と奮い立ち、堺をあなごの町として売り出そうと決心します。
堺はもともと日本を代表する歴史や文化の始まりの地であり、技術の発信地でした。鉄砲、包丁、自転車、三味線、傘、線香、織物そして茶の湯など、匠の技が光る伝統産業が今も息づいています。そこに、魯山人推奨のおいしいあなごを加え、堺とあなごを同時に売り出そうと考えたのです。
そうはいっても同業者は腰が重く、大阪府や堺市もすぐには動きません。そこで、松井社長は単独で堺のこれはと思うお店に声をかけ、「堺あなごマップ」の製作に乗り出すことにしました。
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