「盛り土問題」責任者たちの「罪」とは一体何か 「正義」は多くの怨念の上に成り立っている

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しかし、事実上、私たちがほとんどの場合にしてしまうことと、道徳的によいこととは一応、別なのです。到底、守れないけれど「道徳的によい」という判断、すなわち、事実上、守れないけれど「守るべきである」という判断はありうるし、カントはすべての人が理性的であれば、この意味で「道徳的によい」ことを知っていると考えているのです。

カントが厳しく批判しているのは、「『ウソをついてはならない』ことを、事実上ほとんどすべての人が守れないために『道徳的によい』とは言えない」という考えです。言い換えれば、たとえすべての人が「決してウソをつかずには生きていけない」としても、だからといって「ウソをつくこと」が「道徳的によい」ことにはならないとカントは考える。カントによれば、すべての人は理性的であるかぎり、道徳的よさをその実現可能性とは別に知っているのです。そして、私は、これはこれまでの私の人生における全経験に基づいて、このすべてはまったく正しいと思います。

ですから、定型的な言葉(美辞麗句)を「道徳的によい」と決めて、それに反したものを容赦なく裁くという態度は、まったく非哲学的であって、中世の魔女裁判や異端尋問と変わるところはない。そうではなく、ある個人がその全実存をかけて真実だと思うことが真実なのであり、それは、社会の通念と異なっていればいるほど、「試される」ことが多くなる。そこに解決はなく、ある個人の信念がたまたま大きく社会通念と異なっているなら(江戸時代の隠れキリシタンや、戦前の共産主義者のように)、まさに真剣にそれに向き合って、社会の通念を変える運動をするか、社会から離脱するか、場合によって社会通念に屈服するほかない(このあたりの解釈は、カントよりキルケゴールに近いかもしれない)。

「善人」こそが最も危険な人々

逆に、現代日本の社会通念に対して何の疑問も感じずに、弱者を保護しない人、環境保護を真剣に考えない人、ルールを守らない人、障碍者や外国人を差別する人、差別語を使う人に怒りをぶつける人は、たぶん古代ローマに生まれていたら、ライオンの餌食になるクリスチャンたちを軽蔑し、いい気味だと眺めたでしょうし、中世に生まれたら、火刑にされる異端者を憎み、その炎の中に喜々としてまきを投げ込んだでしょうし、80年前のドイツに生まれていたら、ヒトラーのユダヤ人迫害の演説に酔いしれたことでしょう。こういう人々こそが、(ニーチェを下敷きにした)私の定義によると「善人」なのであり「畜群」なのであって、最も危険な人々なのです。

さて、そろそろ今回の問題は何だったっけ、と言いたげな顔もちらほら見えてきましたので、確認しておきますと、もともとの問題は道徳と社会(組織のメンバー)との関係でした。現代日本社会は「正義」という観念がのさばっていて、道徳を窒息させている。正義とは、法的正義と言ってもよく、あくまでも社会維持のための装置としての外形的正しさです。道徳的よさは、これからこぼれ落ちた(社会維持を視野から除いた)すべての正しさ、内面的正しさと言いかえてもよい。そこで、あなたの属している組織が、あなたの信念と異なることを遂行しつつあるときに、あなたはどうすべきか、という問いが浮き上がってくる。

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