「ホーム転落事故」、鉄道側の責任範囲とは? 免責される具体的な基準はなし

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まず、安全設備が十分だったか否かが争われた裁判例は、最高裁1986年3月25日判決(民集40巻2号472頁)である。視覚障碍者用の点字ブロックをホームに設置する義務について争われたものである。

事案は次のとおりである。1973年、国鉄(現JR)大阪環状線福島駅で、ホームから線路上に誤って転落し列車にひかれ重傷を負った視覚障碍者が、ホームに点字ブロックが未設置だったことに原因があるとして、国鉄に損害賠償請求をした(同じ1973年に山手線高田馬場駅でも視覚障碍者がホームから転落して列車にひかれて死亡するという事故が発生しており、このときも点字ブロック等を設置する義務の有無が問題になっている)。

最高裁は、点字ブロックを設置するべき義務があるかどうかは、

ア)当該設備が標準化されて全国に普及しているかどうか
イ)ホームの構造または視覚障碍者の利用頻度との関係から予測される視覚障碍者の事故の発生の危険の程度
ウ)この危険防止のために当該設備を設置する必要性の程度
エ)設置の困難性

 

などを総合的に考慮して判断するべき、という基準を示した(国家賠償法第2条第1項にいう「営造物の設置又は管理の瑕疵」に関する判断基準ではあるが、私人間の不法行為(民法第717条にいう土地工作物責任等)の基準としても通用すると思われる)。

安全対策が「完璧」といえるかどうかは難しい

駅ホームの点字ブロック(写真:shu / PIXTA)

この事故から40年以上が経過し、今では多くの駅で点字ブロックが設置されている。点字ブロック設置について今議論する実益は大きくないが、最高裁が示した基準そのものは点字ブロックのみならず他の安全設備、対策について今でも一般的に通用する基準である。

しかし、安全対策として具体的に求められる水準は技術の進歩によって刻々と変化する。また、新たな安全設備が開発されただけで直ちにその安全設備の使用がスタンダードになるわけではなく、いつの時点でそれが普及したといえるかも考慮しなければならない。どの程度のコストや品質に到達すると設置が「困難」から「容易」に変化するのか、具体的なスタンダードとしても酷ではないということになるのか、という視点も必要になるのである。さらには、「社会一般の安全に対する見方」という曖昧な視点も検討される必要がある。

結果、安全設備や対策が完璧であったといえるかどうかは事後的にもそれほど簡単に決められるものではなく、ましてや事故当時その判断を簡単に予測できるものでもないということになる。

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