真田を伝説にした、兄・信之の「合理的な選択」 幸村ひとりではなしえなかった「ブランド化」
真田最大の苦労人、信之の「戦わない戦略」
「幸村=ヒーロー」――。このイメージは江戸時代以降、現代に至るまで日本人に深く根付いている。
しかし、真田の「ブランド」は、幸村一人で作り上げたものかというと、そうとは言えない。父・昌幸や祖父・幸隆が積み重ねた実績、そして、兄・信之の存在が幸村を支えたからこその偉業なのだ。
戦国最後の名将と呼ばれる、真田幸村の兄・信之。彼の最初の名は真田「信幸」だった。「幸」は真田家の当主が持つことになっていた字である。しかし、「関ヶ原の戦い」で父や弟と敵対し、袂を分かったことを機に「幸」を捨てて、「信之」と名を変えた。父や弟の助命、真田家存続のためには父祖伝来の字を捨てることも厭わない――。それは単純な発想にも思えるが、実にしたたかな手段だったのだ。

















