間もなくA席側の高架線脇に、巨大な鳥居が現れ、一瞬で過ぎ去る。南宮山の北麓にあり、美濃国一の宮と言われた、南宮大社の大鳥居だ。高さは21メートル。高架にくっつくほどの近さに見えるが、実際には40メートルほど離れており、災害などで鳥居に万が一のことがあっても、新幹線にぶつかることはない。
南宮大社の鳥居は、その大きさはもちろん、色彩の美しさも見どころだ。南宮大社の本宮は車窓からは見えないが、拝殿、楼門、高舞殿などいずれも社殿も美しい朱に彩られている。これらの建物は、関ケ原の戦いで焼失した後、三代将軍徳川家光が再建したといわれる。ほんの一瞬で過ぎ去る大鳥居を見て、境内の美しさを想像してみよう。
南宮大社がある南宮山は、関ケ原の戦いで西軍の毛利秀元が陣を張ったところだ。東軍・徳川家康の本陣はこの先、A席側に野球場が見えるあたりにあった。毛利軍は家康の背後につき、挟み撃ちにするはずだったのだ。だが、毛利軍は家臣の寝返りによってここに釘付けにされる。
関ケ原ルートの当初案通り名古屋から一直線に関ヶ原に向かうルートをとっていたら、新幹線はこの南宮山の南側を通り、大鳥居も家康の本陣跡も通らなかった。
採掘で形が変わってしまった山
南宮大社の鳥居が見える頃、E席側後方には、山肌を大きく削り取られた山が見える。いや、削られすぎて「山の跡」と言ったほうがよいかもしれない。
この山は、大理石や石灰岩の採掘地、あるいは化石の発掘地として知られる金生山だ。ここで採れる「赤坂大理石」は極めて質がよく、国会議事堂や老舗百貨店、もうしばらくすると車窓に見えてくる京都東寺の更紗石灯篭など歴史的な建造物に使われてきた。だが、現在では掘り尽くして枯渇してしまい、新しく採掘することはほとんどできないと言われている。それも、あの山容を見れば納得だ。
環境保護と再生可能エネルギーを模索する大企業、天下を分けた合戦、資源を掘り尽くし消費してしまう現代社会。新幹線の車窓からは、さまざまな日本人の営みが見えてくる。
金生山が見えなくなり、周囲を山に囲まれてくると、A席側に新幹線の撮影ポイントでもある十九女池(つづらいけ)を見て、続いて大きな石材工場を通過する。六本木ヒルズレジデンスの外壁も手がけた大手石材メーカー、関ヶ原石材だ。汚れにくく環境にもやさしいという外壁材「ハイドロストーン」の看板で新幹線にアピールしている。晴れていればE席側に「戦跡地関ケ原」の看板も見える。
長いトンネルを越えると滋賀県。右手に伊吹山が現れ、琵琶湖に近づく。米原ももうすぐだ。
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