日本の「最貧困地域」再生で見た甘くない現実 「西成特区構想」を率いた経済学者の奮闘

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──そしてついに、半年間計6回の検討会議本番にこぎ着ける。立場を異にするリーダーたちが一堂に会するのは、あいりん史上初だったとか。

『経済学者 日本の最貧困地域に挑む』(書影をクリックすると、アマゾンのサイトにジャンプします)

無関心層や反対派にこそ参加を呼びかけ、全町内会長、労働団体にひざ詰めで参加を依頼しました。綱渡りで大変だったけど、傍聴人も含め毎回約200人余りが参加し、やって本当によかった。

行政がやると、自分たちの意に沿う人物だけ集めてオーソライズ(公認)してもらい、反対集団の怒声にはひたすら頭を下げて鳴りやむのを待ち、ちゃっかり議会に通して再生事業を強行するわけです。でもこの地区に限っては、もう全員集めてみんなで話し合おうと。最初は案の定、怒声・罵声が飛び交う大混乱でしたが、回を追うごとに何とか道筋ができみんな乗ってきて、最後はまとまった。やっぱり賛成派も反対派も様子見派も、みんな集まって話し合うのが民主主義の原点ですから。

活動家らは距離が近すぎるとヤジを飛ばしにくいらしい

──会議をかき乱す活動家対策ではいろいろ奇策も飛び出しました。

体育館を会場とした会議は完全な開放型で、35人の委員たちは傍聴席に囲まれてグループごとに議論していくのですが、活動家の怒声に委員が萎縮して議論に入れなかったりしたときは、私が傍聴席に上がっていってレクチャーしたり質問に答えたりして場を収めました。

ある回では傍聴席を最前列、委員席を後ろと逆にしたんです。面白いもので、活動家らは距離が近すぎるとヤジを飛ばしにくいらしく、委員たちをドツくのも首を後ろにひねってではやりにくい。おかげで静かに進行できました。回も最後のほうになると、傍聴席で騒いでた連中も話し合いの輪に取り込まれていき、単に妨害したいだけの連中にはほかの傍聴人から「オマエら邪魔だ」と声が飛んで、小さくなっていた。重要なのは意見する場を反対派にも作ったこと。みんなで決めたことだ、後になってから騒ぐな、と言える。

──でもその後、肝心の橋下さんは市長を降りてしまいましたが。

もちろん、改革は継続せざるをえないよう舞台装置を整えておきました。上からの号令方式だと、上が代わるやこれ幸いと手抜きしてしまう。だから下の役人から考えさせて下からの積み上げで全部やらせる形を仕込んだ。住民と共同でやる事業もたくさん作っといたので、途中で「イチ抜けた」はできない。だから橋下さんが辞め私が去った今も、改革は着々と進行中です。古汚い一大ドヤ街のイメージも10年後くらいには変わっているだろうと思います。

中村 陽子 東洋経済 記者

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なかむら ようこ / Yoko Nakamura

『週刊東洋経済』編集部記者

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