(第8回)阿久悠・最後のヒット曲『時代遅れ』の“読み違い"

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●『時代遅れ』の読み違い

 だがこれは、阿久悠にしては珍しい"読み違い"ではないか。

 少なくとも、沢田研二が演じたやせ我慢には、エロスの香り漂う退廃の美とともに、アナーキーでかつポジティブな、男の自己主張というものがあった。
 『カサブランカ・ダンディー』(79年)でジュリーは、聞き分けのない女を、歌の中ではり倒しさえする。"女の時代"と言われた70年代にあえて逆行する、ぎりぎりのパフォーマンスとしてだ。

 河島英五の『時代おくれ』には、そんなハラスメント行為はおろか、ポジティブな抵抗も自己主張もない。
 ただ、「時代おくれの男になりたい」願望は、疲れた男たちのバブル空騒ぎからの"降りたい願望"に巧みにフィットしていた。阿久ワールドの中では、『勝手にしやがれ』をポジ(陽画)とするネガ(陰画)、時代錯誤をすれすれのところでかわした、やせ我慢のパロディ・ソングだったのだ。

 いずれにせよ、劣勢は否めない。
 パソコンとワープロが急速に普及し、ファミコンブームが到来した80年代前半、アナログからデジタルへの転換期は、そのままアナログ大衆文化の代表格である歌謡曲の危機の時代でもあったのだ。

 "女の時代"は80年代に至ると、男女雇用機会均等法施行に行き着き、国会ではアグネス・チャンが子連れ出勤を論じ、論争を巻き起こした。
 『時代おくれ』がリリースされた86年、アイドル歌手の岡田有希子が、東京四谷にある所属事務所の屋上から飛び降り自殺するという事件が起きた。その後、少年少女の後追い自殺者は、40人を超えたとも言われる。いじめも家庭内暴力も、80年代に噴出した特徴的な時代現象だった。

●「美空ひばり」に触れなかった阿久悠の後悔

 そして1989年、昭和の時代が終わって半年後に、歌謡界の女王・美空ひばりが他界する。
 ひとつの時代が確実に終わったのだ。

 15カ条の作詞家としての「憲法」の第1条に、「美空ひばりによって完成したと思える流行歌の本道と、違う道はないものであろうか」と大書した阿久悠は、ついにこの昭和の歌姫と本格的に相まみえることはなかった。

 だがそれは、作詞家・阿久悠にとっての大いなる悔恨でもあったのだ。
 『日本経済新聞』連載の「私の履歴書」をまとめた『生きっぱなし記』で阿久悠は、その心残りをこう綴っている。

 「ぼくの三十数年の作詞家生活に於て、後悔することがあるとするなら、美空ひばりのために歴史的な詞を提供出来なかったことである。この同年の大歌手が五十二歳の若さで急逝した時、ぼくがぼくを責めたのは、『馬鹿だな、阿久悠、逃げてばかりいて』という言葉だった。その思いは、年々歳々深まっているのである」

高澤秀次(たかざわ・しゅうじ)
1952年生まれ。早稲田大学第一文学部卒。文芸評論家
著書に『吉本隆明1945-2007』(インスクリプト)、『評伝中上健次』 (集英社)、『江藤淳-神話からの覚醒』(筑摩書房)、『戦後日本の 論点-山本七平の見た日本』(ちくま新書)など。『現代小説の方法』 (作品社)ほか中上健次に関する編著多数。 幻の処女作は『ビートたけしの過激発想の構造』(絶版)。
門弟3人、カラオケ持ち歌300曲が自慢のアンチ・ヒップホップ派の歌謡曲ファン。
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