中国勢も驚く「中欧鉄道メーカー」の存在感 シュコダ・ペサが低価格を武器に西欧へ進出

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第一次大戦時には軍需産業へ進出する。大戦中の生産能力不足により、さらなる工場拡大への投資が行なわれ、1917年に本拠地プルゼンで働く人数は3万5000人に達した。

大戦終了後の1918年にチェコスロバキア共和国が設立されると、軍需産業中心の企業体質から脱却し、電気や蒸気機関、その後の基幹製品となる鉄道車両など、様々な産業分野へ進出していく。1923年には、同社のシンボルとなる、丸の中に翼をあしらったコーポレートマークが誕生した。

しかし、1930年代中頃より再び世界情勢が悪化する中、同社は再び軍需産業が売り上げの中心となっていく。第二次大戦後にチェコスロバキアが社会主義国家となると、政策によって会社は国有化された。その際、航空と自動車、食品加工などいくつかの部門は引き継がれずに独立する。自動車メーカーのシュコダ・オートは、この時点でグループから離れており、エンブレムなどに名残りはあるものの、現在はフォルクスワーゲン傘下の完全な独立企業だ。  

1949年、ソビエト連邦を中核とする経済同盟であるコメコン(経済相互援助会議)にチェコスロバキアも参加する。加盟国の分業によって生産性を上げるという構想により、シュコダで製造する重工業製品や鉄道車両などは、他の社会主義国家へ輸出された(1991年のソ連解体と同時に、コメコンも解散)。

シュコダは、1989年の時点で国営企業から合資会社となり、再び民間企業へ戻ることとなる。その後、シュコダ・グループの中心的存在となったシュコダ・トランスポーテーションは、都市近郊列車を中心とした鉄道車両の生産を担う同社の基幹事業になった。21世紀になり、同社は中欧~東欧諸国から徐々に西欧諸国へも進出し、現在では米国やその他諸国へも輸出先を広げている。

ドイツ鉄道への機関車納入で注目

シュコダ製のブラチスラヴァ向け低床トラム

そのシュコダは、今年9月にベルリンで開かれた世界最大の鉄道見本市InnoTrans(イノトランス)の会場に、ドイツ鉄道地域輸送部門向け電気機関車102型と、隣国スロバキアのブラチスラヴァ向けトラムを出展した。

ドイツ鉄道の102型機関車は、シュコダ109Eと呼ばれる同社の汎用電気機関車。すでにチェコやスロバキアで同型車が運用されているが、今回初めて西欧の、しかもビッグ3の2社を含む地元メーカーが多数ひしめき合うドイツに納入されたことで注目を集めた。展示車両にも多くの人たちが訪れており、関心の高さをうかがわせた。イノトランスの展示には間に合わなかったが、同社は機関車とともに2階建て客車も受注しており、ミュンヘン~ニュルンベルク間の高速新線を最高時速189キロで運転する快速列車に使用される予定だ。

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