文字を失った中国少数民族「ユグル族」の正体 その存在は中国でもあまり知られていない
その一部が、西方の現在は新疆と呼ばれる地域に移住し、数世紀の間にイスラム教に改宗した。もう一つの大きなグループは、東方の河西回廊に移動した。山脈にはさまれた細長い平地で、中国の歴代王朝が中央アジアにいたるために使ったルートだ。
北京政府も文化維持に協力
北京師範大学の巴によると、ユグル族はその固有の言語が、他の少数民族と自分たちを区別する最大の特徴だと考えている。ところが気がついてみると、多くの人がその言葉を忘れてしまっており、若者の場合は一度も習ったことがない。
2004年、北京の国家民族事務委員会は、ユグル語を「消滅寸前」とみなし、その保護に向けた試験的プログラムを導入した。だが、粛南ユグル族自治県の多くの学校には、ユグル語を十分に教えるリソースがない。「人々はようやく(ユグル語が)失われつつあることに気がついた」と巴は言う。「激しい世代間ギャップがある」。
紅湾寺鎮の県文化局には、ユグル族の羊飼いの伝統を説明する展示室がある。馬に乗ったり、テントで暮らす遊牧民の写真もある。特別な日には、凝った刺繍の入った長い絹の服を着ている姿もある。こうした遊牧文化も言語同様に若者の間では消えつつある。
文化局の担当者の話によると、この県のユグル族人口は約1万3000人で、その半数は今も放牧をしている。一方、2010年の全国調査によると、中国全体のユグル族人口は約1万4400人だ。
手工芸の工房を営むセルジンは、遊牧民の伝統を守ろうと必死だ。彼女は17歳のときまで遊牧民だったが、それから教師になる学校に通った。今は55歳になり、教師の仕事も引退した。「ユグル族にとって最も重要な手工芸品は、ウールの服やテントだ」と彼女は言う。「2番目に重要なのは皮革製品だ」。
多くのユグル族にとって、仏教は今もユグル文化の要だ(北京師範大学の巴によれば、そのルーツにはシャーマニズムがある)。
ナンチアンがいる紅湾寺は、清朝の時代に建設された後、さまざまな場所に移設され、中国建国後の思想統制の高まりのなかで1958年に破壊された。ナンチアン自身は近隣の康楽県で育ち、16歳のとき僧侶になった。「幼いときから、とても信仰心が強かった」と本人は振り返る。4年前、再建された紅湾寺を任された。
1960年代半ばに文化大革命が始まると、かつて紅湾寺にいた僧侶たちは、青梅省にある有名なチベット仏教寺院・塔爾寺(タール寺)に身を寄せ、そのまま戻ってこなかった。だが、その1人であるルオザンダンバは、紅湾寺再建の指揮をとり、毎年この地にやってくる。
「紅湾寺に住むユグル族の僧侶は私しかいない」と、ナンチアンは言う。「ユグル族のほかの僧侶は、みな別の場所に去って行ってしまった」。
(執筆:Edward Wong記者、翻訳:藤原朝子)
© 2016 New York Times News Service
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