文字を失った中国少数民族「ユグル族」の正体 その存在は中国でもあまり知られていない

ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小

とはいえ、最近はユグル族の伝統を知らない若者も増えていて、ナンチアンら民族の中核的な文化を守りたい人々には頭の痛い問題になっている。

そもそもユグル族は、中国でもあまり知られていない。筆者も、中国西部における気候変動の影響を取材するため、祁連(きれん)山脈を訪れたとき初めて、そのすそ野に位置する紅湾寺鎮を知った。

「もう私たちは文字を失ってしまった」と、手工芸品の工房を経営するセルジンは嘆く。「意識して守ろうとしなければ、口頭言語もすぐに消えてしまうだろう」。かつて県の文化局に勤めていたセルジンの危機意識は強い。「手工芸の技術を守らなければ、ユグル特有のものがなくなってしまう」。

近年、ユグル文化に関心が集まる出来事もあった。2014年には、若手映画監督の李叡珺(リー・ルイジュン)による『僕たちの家に帰ろう』が、ユグル文化を描いていた。ユグル族の兄弟がラクダに乗って、放牧に出た父親と水を探しに行く物語だ。第27回東京国際映画祭のコンペティション部門に出品されたほか、ニューヨークのリンカーン・センターでも上映された。

かつては大帝国を築いたが

ユグル族の歴史は、栄枯転変と文化の交わりの歴史であり、地理と移住、そして社会の選択に翻弄されてきた。現在の中国北部の多様な遊牧文化は、20世紀に入るまでのアジアでは大きな位置を占めていた。

新疆に定住して農耕を始めたウイグル族とは異なり、ユグル族は伝統的な遊牧文化にこだわり続けた。つまり祁連山脈のふもとで、羊や馬と共に転々と移動する生活だ。しかし現在の中国では政府の規制もあって遊牧民は減っており、ユグル族も冬は定住地で家畜の世話をして、夏になると放牧に出る者が多い。

ユグル族の結婚式

「少数民族はみな、近代化を受け入れるか、伝統を守るかという悲劇的な選択を迫られている」と、ユグル族出身の巴戦竜(パ・チャンロン)北京師範大学教授(人類学)は語る。その一方で巴は、言語や遊牧生活だけがユグル族の特徴ではないと思うと語った。

中国の研究者たちによると、ウイグル族とユグル族(黄色いウイグル族と呼ばれることもある)は、回紇(かいこつ)の子孫と見られている。回紇はテュルク語系の遊牧民族で、8〜9世紀には現在のモンゴル高原に一大帝国を築き上げた。

次ページ人々はようやく失われつつあることに気がついた
関連記事
トピックボードAD
政治・経済の人気記事