介護の世界から返り咲いた鬼才プロゲーマー 新世代リーダー プロゲーマー ウメハラダイゴ
とはいえ、悩みはあった。周囲は自分の打ち込むべきものを見つけていく。部活動や音楽、あるものは勉強に熱中する。だが自分が選んだのはよりによって「ゲーム」。学校の先生からすれば遊んでいるようにしか見えない。学校の先生が熱く語る「将来の夢」に、ウメハラはどれもピンとこなかった。まだこのときは、ゲームで食っていくなどということは思いもつかなかった。とにかく負けたくない。いちばんうまくなりたい。
少年の意地がゲームへと突き動かしていた。ウメハラダイゴ、14歳のことだった。
語り継がれる「ウメハラ伝説」
数多くの大会でタイトルを獲得してきたウメハラ。彼の鬼気迫るゲームへの熱意を裏付けるような伝説には、枚挙にいとまがない。ファンの「格闘ゲームでうまくなるにはどうしたらいいですか?」という質問に対し、「“格闘ゲーム以外でいかに弱くなるか”でしょね」と切り返したこともある。ゲーム大会にエントリーする際に自分の名を「梅原大吾」ではなくカタカナで「ウメハラダイゴ」と書くことに対しても、「格闘ゲーム以外が弱くなりすぎて、漢字で名前を書けないのでは?」との噂もささやかれる。
もちろん、こうした話は誇張された部分もあるだろう。ウメハラ自身も、「ほとんど冗談ですよ(笑)」。さらりと受け流す。だが、こうした「ウメハラ伝説」が信憑性を帯びるのは、徹底的に自らを追い詰めるような練習姿勢にある。日々の基礎練習では30分の1秒以内に入力しなければならないコマンドを99%できるようになるまで、徹底的にやり込む。その練習を大晦日と元旦の2日間以外363日、やり続ける。
伝説の名勝負「背水の逆転劇」
ウメハラの名を一躍、世界レベルに引き上げた試合がある。2004年8月、アメリカ・カリフォルニアで開かれた世界最大規模の格闘ゲーム大会「Evolution 2004」の「ストリートファイターIII 3rd STRIKE」の準決勝戦、アメリカ屈指のプレーヤー、ジャスティン・ウォンとの一戦だ。この試合が後に「背水の逆転劇」としてゲーム史上の伝説として語り継がれることになる。敵地アメリカ、完全アウェーの中の孤独な戦いだった。
互いに1ラウンドずつ勝ちを収めて迎えた最終3ラウンド目、正真正銘の最終ラウンド。ジャスティンの操作する「春麗」の前に、ウメハラの操作するキャラクター「ケン」は防戦一方だった。「勝負の世界に“絶対”はない」というとおり、いくらウメハラが強くても、上級者同士の戦いでは一挙に勝負が決まってしまうことがある。
まさにこの戦いではそうだった。開始から30秒、ウメハラの体力ゲージはほぼ尽きていた。通常のガード方法ではどの技を受けても微量なダメージを与える「削り」という技があるため、どの技を受けても体力はゼロになってしまう状態だ。
こうなってしまえば格闘ゲームでは逆転の可能性はゼロに近い。ましてや相手はアメリカでもっとも人気のプレーヤー、付け入るすきは皆無だ。会場の誰もが勝負の行く末を見限ったとき、ジャスティンが「大技」で一気に勝負を決めにかかる。