マレーシア総選挙が示す、「強権政治」の終焉 中国にも大波が押し寄せるのか

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もともとマレーシアは英国の植民地だった。

第2次世界大戦で日本の占領を経て、再び英国の統治下に入ったが、1957年に多民族の共存を掲げて独立を果たす。そして1969年5月13日、選挙をきっかけにマレー人と華人が殺し合うという民族暴動が起き、多民族国家マレーシアは一時崩壊の危機に瀕した。それ以来、マレーシア政治では「安定」と「発展」をキーワードに、与党連合の圧倒的多数による強権政治が必要だという現実を国民は受け入れてきた。

今回、政権を維持した与党連合「国民戦線」の中核にあるのが、マレー人の政党・統一マレー国民組織(UMNO)だ。UMNOの中興の祖は、ルックイースト政策で有名なマハティール元首相である。

マハティール氏の特徴はその強いリーダーシップにあった。日本ではまず親日家でルックイースト政策が思い浮かぶが、国内の対立勢力や批判的なメディアには容赦なく攻撃を加えるストロングマン型政治家でもあった。与党連合の圧倒的多数という体制を完成させ、効率的かつ独創的な経済政策でマレーシアの順調な経済発展を実現すると同時に、強権型の政治体制も作り上げたのである。

アジアで次々と「強権政治」が終焉

アジアの開発独裁モデルは雁行型と呼ばれ、日本を先頭に、その後にNICSと呼ばれた韓国、台湾、香港、シンガポールが続き、さらに次に東南アジアの中でも経済的に優等生といえるタイ、マレーシア、フィリピン、インドネシアが続いた。まるで雁が隊列を組んで飛んでいるようなので雁行型と呼ばれた。

どの国も基本的には長期政権が国家経済をコントロールし、重点分野に国家の予算や補助金を配分し、研究開発をサポートし、貿易依存型の経済で成長を成し遂げた。政治的には特定の利益集団を生むことになるが、そのロスよりも効率的な政治運営のメリットのほうが大きいことが半ば公認されていたので、どの国も自然とその道を選んできたのだ。

しかし、日本も高度成長が終わってバブルが崩壊するのとほぼ同時期に、自民党の一党支配が崩壊した。韓国の民主化や台湾の民主化も、あるいは、タイの民主化デモも、インドネシアの民主化も、時期はそれぞれ多少、外れてはいても、経済発展の社会の成熟に伴って、国民の意識が強権政治による権力の独占を認められなくなり、時には平和的に、時には武力を伴って、強権政治の終焉が次々と告げられてきたのである。

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