「低賃金だけど、高齢者や介護にかかわる仕事は本当に好き。好きな分野なので勉強するのも苦じゃなくて、日々の生活と子どもの将来のこともあるし、とにかく専門性を付けないと、って頑張りました。時間を見つけては、いろんなとこに出掛けた。介護ベットひとつにしても、さまざまなメーカーがある。展示会だったり、研修会だったり、福祉用具についてはかなり勉強しました。利用者それぞれの状態も、体型も違う。専門性がないととてもできない仕事です」
介護は低賃金の代表的な職種だが、賃金よりもやりがいを求めて働く職員が多い。2000年から始まった介護保険制度によって民間に開かれて、介護事業に続々と一般企業が参入している。営利法人の経営者たちは働く従業員に甘え、職員たちの前向きな心を利用し、限界まで搾取やブラック労働をさせて利益を貪るような事業所が後を絶たない。賃金に合わない責任と結果を求められる佐々木さんのケースは、ワンマン経営の小規模の介護事業所によく見られる現象だ。
「私、今まで本当に福祉用具の仕事を頑張ってきたけど、もうどうしていいかわからないです」
国による社会保障費の削減、職員の前向きな心を利用する経営者によるダブルの搾取の弊害は厳しい。賃金をつねに盗まれているようなものだ。佐々木さんは売り上げという結果を出しても、何も変わらない現状に頭を抱えているが、経営者が正当な賃金を払うつもりがないのならば、逃げるしかない。
高校2年生で妊娠、出産
30歳、子どもは12歳と9歳。佐々木さんは高校2年生のとき、妊娠をした。相手は中卒で建設会社に就職して働く、同じ地元の先輩。悩みに悩んだが、高校中退してできちゃった結婚をした。
「そのときは自分がいちばんピークに楽しかった時期、学校をさぼったりしながら遊ぶ時間、友達との時間、それでアルバイトでおカネはそこそこ持っていて、さらに楽しかった。周りに子どもを産んだ子はいなくて、正直、産む気なかった。子どもを産むことがどういうことだかイメージできなかったし、自分が母親なんて、絶対無理だって。結局、旦那から産んでほしいと説得されて、渋々決断したのが正直なところです」
結婚出産して一家は、佐々木さんの実家で暮らした。実家で母親と子育てをし、旦那の18万円程度の手取り給与で生活した。旦那は子育てには積極的で、問題のない平穏な生活が続いた。
「2人目が産まれた年に旦那はもっと収入を増やすって、転職した。そこからおかしくなりました。地元にある大手製鉄会社の工場で24時間稼働している交代制の仕事に就いて、おかしくなった。工場では24時間鉄骨を作っているんですよ。収入は手取り30万円くらいになって、そこそこ余裕が出てきた。旦那は自分のお小遣いを持ち始めて、ギャンブルを覚えちゃった」
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