コーヒーに全てを捧ぐ男のこだわりと寄り道 「至高の一杯」の裏には妥協のない努力がある

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――それは、うんざりしちゃいますね。

川島氏:もう学校生活もうんざりしてしまったので、身近だったあこがれの世界「ブラジルのコーヒー農園で働きたい」と、ブラジル大使館に手紙を出しました。一度目は返事が来ず、すぐに二度目の手紙を送ったら、「日本政府に相談してください」と返ってきました(笑)。親に内緒でしたから、見つかったときは大目玉を喰らいました。

何かをやりたいと思ったら絶対に諦めたくない性格で、必要なことはすべてやろうとするんです。最高のコーヒーを作ろうと思ったら、何をすべきか。「コーヒーのためにできることは、すべてやる」それは今も同じですね。

和尚さんが後押ししてくれたエルサルバドル行き

川島氏:中学・高校では静岡聖光学院に進みましたが、そこで大きな転機が訪れました。父の幼友達が、沢庵和尚で知られる名刹、品川の東海寺のご住職だったのですが、「どうせ夏休みは遊んでばかりだろう」と、高校一年生の一学期の終業式の翌日、父に連れられて東京に行き、その東海寺で修行させられることになったんです。

6人の貧乏学生と一緒に寝食を共にしていました。朝5時に起きて、座禅、そのあと掃除、大学生による私への勉強レクチャーという毎日でした。質素な生活をしていた和尚でしたが、お寺には方々から頂いた酒が一杯あって、ある日、私はそこにあったお酒を調子に乗って飲んでしまったのです。それが見つかって「飲むことは見逃せても、酔うことは許されない!」と叱責を受けたのですが、そんな粋な言葉に惚れてしまった私は、高校の3年間の夏休み、冬休み、春休みと、ずっと修行に行かせてもらいました。

小学生のときから海外のコーヒー農園で働きたいという夢は、親から「中学を出たら」、「高校を出たら」と引き延ばされていましたが、いよいよ高校卒業の段階で、父親の仕事で縁のあったエルサルバドルへ行けることになりました。実はそのときも最初は「大学を出たら」と引き延ばされかけていたんです。このとき、和尚が「やりたいようにさせたらいい」と父を説得してくれて……。それもあって、晴れてエルサルバドルへ行くことができました。

留学、勘当、西友アパレル時代

川島氏:ところが、それまで海外には行ったこともなく、飛行機に乗ることも初めてでしたから、搭乗してから不安から涙は出るわ、その状況を見た乗客から心配されるわで……。でも、現地に到着してひと晩寝たら「こんな景色が綺麗なところで、これから学ぶことができるんだ」とホームシックから一転、ワクワクしましたね(笑)。

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