――NHK時代にはこの作品は監督できなかった?
そんなことはないけれども。ただ組織に所属していると、今ここで話をするにも、広報を通してということになるし、届け出の提出とか手続き上いろんなことがある。それは管理する側として当然の考え。でも、管理しないと人は何か余計なことをすると考えるのは、いわば性悪説に近い。
『ハゲタカ』をやって思ったけど、グローバルリズムが入ってきた後、日本社会は性善説から性悪説に変わってきていると思う。社員は目を放した瞬間に、余計なこと、会社にとって不利益なことをやるんじゃないか、と会社が考えるようになった。放送業界では、コンプライアンスへの過度な意識が現場の士気や創造性を低下させるという声もある。そこまで届くかどうかわかりませんが、そういう大きな思いをもって、この『プラチナデータ』に取り組んでいる。
日本のジャーナリズムは危機的
ジャーナリズムひとつとっても、足で稼ぐジャーナリズム、裏を取るというジャーナリズムの基本が、IPS細胞の誤報がその例のひとつですが、壊れてきていると思う。文化が滅びるということは、概念がひとつ消え失せていくということ。僕は「ジャーナリズム」という「概念」が、日本では、ある意味危機に瀕していると思っている。
そんな現代だからこそ、自分の身から出た情報や言葉、結果であっても、もう一度疑ってみるスタンスがものすごく大事だと思う。今回の『プラチナデータ』では、神楽龍平が自分の身に覚えのないことを、その確証を求め、真実にたどり着くために逃亡し始めるわけです。科学者であり、研究施設という保護された場所にいた彼が、そこから追われ、走り、汗をかき、汚れていく。僕にとっては、脱藩し、未知の情報を求め、自分の指針となる人に会うために地球を2周分歩いたといわれる「龍馬」の延長線上にあるモチーフ。そこには、価値ある情報を自らの力で獲得するまでのプロセスがある。
天才科学者だった神楽龍平は、ドラマの決着点で今まで自分が踊らされていたにすぎないことに気づく。神楽のように、情報の扱われ方、特に個人情報の扱われ方について、僕らは僕ら自身の手で気づいていかなければならない。「自分の情報はどこにいって、どう扱われているのか」と。
一元的に管理されていく社会にいつなってもおかしくない。僕は東野圭吾さんの本からそういうことを感じたから、裏テーマとしてそのあたりにこだわりたいなと。あくまでも、誰もが楽しめるエンターテインメントを装いながらね。
※インタビューの続編は3月19日に掲載します。
(撮影:梅谷秀司)
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