管理されることの良し悪しをもう一回考えよ
だからこそ、人格は1かゼロかでは判断できない。0.236が神楽で、0.764がリュウと、使い分けによって人格も変わる。0.623が神楽、0.377がリュウ、といった感じで、外に現れる見え方も変わる。その小数点以下のディテールを失うと、いろんなことを見失ってしまうように感じた。東野さんの原作を読んだとき、その点がうわっと頭の中で駆け巡った。
僕自身、組織を辞めてフリーになったことも『プラチナデータ』を監督するきっかけになった。組織に管理される立場ではなくなって、初めて気づくことも多い。確かに会社に管理されているほうが楽な部分もある。一方で、失っていくことも多い。税金だって、サラリーマンは何も意識せずに天引きされているけど、そうすると税に対する知識や意識がどんどん薄くなってしまう。しかし、自分で細々と確定申告していると、税金に対する知識がどんどん身についていきますから。
『プラチナデータ』はまさに二宮和也というアイドル、東野圭吾という国民的作家のベストセラーを窓口にして、楽で便利かもしれないけど、いつの間にか管理されていくことの良しあしを、もう一回考えるに値するのではないかと思って引き受けた。ひたすら「利便性」を求めていく世間の裏で、われわれが知らないうちに誰かによって「自分の人生」が操作されていてもおかしくないよということを、皆で考えるにはふさわしい題材だと思っています。
そんなことを考えるのも、ジャーナリスティックな教育を受けてきた側面があるかもしれない。NHK時代は、ドラマを作っているというより、ちょっと違う意識が強くあった。単にエンターテインメントを作るだけではすまないというか、テーマ性を重視していたというか。公共放送という立場で、大切な問題を多くの人に届けるにはどうしたらいいか、ということ。今は、よりエンターテイメントの配分を強めていきたいと思っている。
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