リア充投稿に「ひるむ人」に知ってほしい事実 楽しい時を強調するほど、幸福感はすり減る
フェイスブックやインスタグラムに毎日のように“ハレ”の写真を上げるという行動は、「楽しい時間」と「楽しくない時間」の落差を際立たせます。
もちろん、「リア充」という言葉自体がすでに「ネタ」になりつつある昨今においては、半ばパロディとしての「リア充」を演じている人もいるかもしれません。しかし、タレントさんや芸人さん、あるいはスポーツ選手のように「見せる」ことを仕事にしている人でないかぎり、「他人に自分が楽しんでいるところをアピールする」というのは、マナーうんぬんとは別に、心の安定という観点からいうと、あまりお勧めはできないんです。
リア充に対して気後れをしてしまうというのは、一言で言えば「いまの自分の人生に、どこか自信がない」ということです。
どこか不安を抱えている「リア充」な人たち
これまで見てきたように、いわゆる「リア充」と呼ばれる人たちは、「自分が幸せである」ということを誰かにアピールしたい、と考えている時点で、どこか不安を抱えている人たちです。そのことは、ある程度、人生経験を積んできた人であれば了解いただけることでしょう。
しかしながら、まだ社会人経験の浅い若い人は、頭でそうわかっていたとしても、実際に「リア充」を目にすると、ついつい焦ってしまう、ということがある。
頭では「あの人たちはあの人たちで大変なんだろうな」と冷静にとらえようとしても、心のどこかで「でも……やっぱりあいつらは、自分の知らないところですごく楽しい思いをしているんじゃないか?」という妄想から手を離せないわけですね。
「ホームパーティ」とか「クラブで踊りにいく」といった、いまの自分の生活の枠組みから外れたイベントを楽しんでいる人たちのことを見聞きすると、どうしても「やばい! 自分だけが人生の楽しみをつかみ損なっているんじゃないか」と不安になるわけです。
そういう人に僕がお勧めするのは、いまの自分から一歩踏み出して、「殻を破る」体験を積む、ということです。
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