二人の議論は、それとは大きく一線を画している。それだけでなく、彼らの議論によって、物価上昇のメカニズムは非常に難しく、さらに期待というものは複雑であり、多数の経済主体の均衡によって成り立つこと、あるいは合成の誤謬によって望ましい均衡が成り立たなくなっていることが明確に描写されようとしている。これによって、政策の議論がより精緻に有効になる可能性が出てきているのだ。
とりわけ、物価というものは企業の価格設定(賃金も同じく企業と労働者により決められる)によるものであり、ミクロの積み重ねに他ならないこと、物価やインフレ率がマネーと同様に空から降ってくるわけではないことを明示的に示していることは極めて重要である。
政策による経済拡大の範囲は限られている
しかし、その上で、批判しなければならないのは、物事にはバランスがあり、経済は社会とともに、自然状態があり、政策によって動かせる範囲は限られていることを直視すべきだということだ。たとえ無力感に苛まれるとしても、できないことはできない、成長しない経済を政策で成長させることはできない。世界の経済構造変化の中で、物価は上昇しなくなり、低金利は永続し、経済は成長せず、技術革新が起きたとしても、実質的な経済厚生の改善はあっても、名目で経済が拡大することはない、という現実を認めなくてはならない、と私は考える。
そして、誠実なエコノミストとして、政策では経済を拡大できない、拡大しない経済の中で、経済厚生を高め、人々の生活を豊かに(あるいは維持していく)方法を提言していくべきと考える。(名目で拡大しない、経済は技術革新でも成長しない、ということについては極めて重要な問題であるので改めで議論したい)。
このような現状認識にある私は、サマーズ教授の「需要を拡大すべき」という考えには反対である。また、渡辺氏はすでに述べたように、「現状は自然状態になく、長期のデフレによって、賃金とサービス価格の関係がより歪んだ形にある。だからこそ、コストとリスクをかけても金融政策によって打破すべきだ」という考え方である。渡辺氏とは、現状認識が異なることが最大の意見の相違の理由である。
一方、早川氏とは、認識はほぼ同一であるが、今なにをすべきか、ということに関して考え方が異なる。この「アドバイザーの誤謬」という問題は重要であり、現在、すべての誠実なアドバイザーおよびエコノミストがこの誤謬に陥っている、という認識が、経済の現状認識以上に読者および安倍政権にとっては重要な事実であると考える。
「安倍政権は対案を出せ」、というが、「何もしない」のがやむを得ないセカンドベスト、「害のある政策を止めること」こそが現状取り得るベストなのだ、と主張するのが、私にとっては最も誠実なことと思われる。
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