都知事選が「三つ巴」になってしまった理由 「後出しジャンケン」は「ずるいやり方」か
かつて、財政破綻した北海道の夕張市が、破綻の原因となった施設を巡る“ツアー”を計画して大きな反響を呼んだことがある。これはマイナスをプラスに変えるというラテラルシンキング的発想なのだが、鳥越氏の戦略は、まさにマイナスをプラスに変える手法と言えなくもない。
ただ、逆境という点では、小池氏も負けていない。小池氏は自民党東京都連の推薦を得られずに立候補を表明した。本人が狙っていたかどうかは別として、これは議会や自民党から「いじめられている女性候補」という構図に映る。その印象から、小池氏の支持に回る有権者も少なくないはずだ。
歴代候補者の仰天戦略
ラテラルシンキング的な発想を持った候補者は、この2人だけではない。過去の選挙でも通じるケースがあった。
たとえば、1995年の都知事選に立候補した青島幸男氏。選挙前に、「私は選挙活動をしません」と宣言し、見事に当選を果たした。「選挙活動をしないなら、逆に選挙期間中に何をしているの?」ということが話題になり、青島氏の動向を連日メディアが追いかけて報道したからだ。結果的には頻繁なメディア露出となり、有権者に「青島幸男」の名前をインプットすることにつながった。
都知事選に限らず、「歴史上、もっとも上手に選挙を利用した人は?」と聞かれたら、私は松本清氏の名を挙げる。そう、あのドラッグストア「マツモトキヨシ」の創業者である。
松本氏は、1954年統一地方選挙に出馬する際、自分が経営する店の「松本薬舗」という名称を「マツモトキヨシ」と変えた。万が一、落選したとしても、選挙カーで「マツモトキヨシ」を連呼すれば、それがそのまま店の宣伝になるからだった。
この点は、今回の選挙でも多く立候補している「泡沫候補」も同じ発想かもしれない。東京都知事の供託金は300万円。庶民がそう簡単に準備できる金額ではないが、見方を変えれば300万円で個人の名を思う存分宣伝できるわけだ。それが「良い宣伝」になるかどうかはさておき、「都知事選に出たあの人」というくらいの知名度を得ることはできる。
ラテラルシンキング的に都知事選を斬ってみたが、当然ながら、選挙で勝てばそれで終わりというわけではない。都知事は、1300万人以上の都民の命と財産を預かる、責任ある職務だ。都民のひとりとしては、ロジカルとラテラル、双方の発想をバランスよく使える柔軟な候補者が当選してほしい、と祈るばかりである。
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