なぜこうも違う?フィンランドの子育て支援 日本が子どもたちに投資しない根本的な理由
『幼児教育の経済学』(東洋経済新報社)著者ジェームズ・J・ヘックマン教授は、子どもが生まれてから5歳までの就学前教育の重要性を説く。就学前の子どもたちが育つ環境を整えることは、子どもたちの非認知能力(意欲、自制心、粘り強さ、社会性など、IQなどの数値では測れない特徴や性格)を伸ばし、それがその後の学力や健康、経済面での成功につながるというのだ。
ヘックマン教授の言う就学前教育には、子ども自身に対する働きかけのみならず、両親に対するコーチングや経済的な援助も含む。これらへの投資は、それ以降の学校教育や就労支援などに投資することよりも見返りが大きいから、経済成長を目指すなら、たとえ財政難であっても幼児教育に投資する戦略をとるべきだというのが、彼の主張だ。
フィンランド政府が妊娠期からの家族のケアに投資するのも、これと同じ考えに基づいている。家庭内暴力や貧困、産後うつ、子どもの発達上の問題などさまざまなリスクを把握し、必要な対策へとつなげる役割をネウボラが担っている。また、保育園には単に両親が不在の時間の面倒を見るというだけでなく幼児の心身の発達を促す教育を与える機関だとし、この考え方は教育(education)とケアを合わせた「エデュケア(educare)」と呼ばれている。特に小学校入学前の1年間は保育士ではなく幼稚園教諭の資格を持ったスタッフが保育をするプレスクールと呼ばれており、これが2015年8月から義務教育化されたことからも、フィンランドで幼児教育が重視されていることがわかる。
日本では、国の社会保障支出が高齢者向けに偏り、子育て支援への支出はほかの先進諸国と比べても低い。その理由としてよく挙がるのが、有権者に占める高齢者の割合が高い上に若者世代の投票率が低いことだが、『子育て支援が日本を救う』(勁草書房)によれば、ほかにも2つの理由が考えられるという。
投資できるかは私たちの選択次第
ひとつは人口構造の変化の歴史にある。「少子高齢化」と言うが、日本では先に急速な高齢化に直面し、少子化はその後にゆっくりとしたペースで進行した。そのため、危機感と予算配分において少子化対策よりも高齢化対策が優先されたというのだ。もうひとつは、宗教的な背景である。キリスト教の影響が強い欧米諸国では、人類愛に基づく「救貧」の文化が社会保障支出やボランティアによる助け合いを促してきたが、日本にはそのような文化が乏しいということだ。
特に宗教的な背景の違いを突き付けられると、日本では「子育ては個人の責任」という意識が根強く、そこに社会保障費が投じられないのも仕方ないのではないかと思えてしまう。しかし、高齢者向けの福祉支出に関しても最初から手厚かったわけではなく、有権者が「高齢者向け社会保障」を拡充するという「選択」(投票やロビー活動など)をした結果、2000年代以降に欧米諸国の平均並に達した。だから有権者たちが「選択」さえすれば、子育て支援を拡充させることもできるというのが、同書の主張だ。
「子どもたちへの投資が未来の社会全体の幸福につながる」ことを私たちが認識し、ブレない意思を持って行動することが重要だ。
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