なぜエチオピアのアスリートは足が速いのか リオ五輪出場が決まった有望選手に取材!

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センベレは2013年にアディダスとスポンサー契約を結んだ。アディダスの年俸は当初の7000ドルから昨年、北京で好成績を収めたことにより、一気に8万5000ドルに上がった。今回のリオ五輪で金メダルを取れば年俸は10万ドル上乗せされ、これに加えて一時金として10万ドルが出る。銀メダルでも6万ドル、銅で4万ドルの年俸アップだ。「若い人たちは成功すればクラブに所属できるようになり、大会にも出られて、スポンサーシップも得られる。その経済的なインセンティブは非常に大きい」と、研究者のゼルは話す。

センベレは普段から故郷の父と妹弟たちに自分の収入から送金をしているという。「お金をもらうことで食べ物やその他の必要品を買える。生活の糧だ」とセンベレは言う。 

ランナーたちの成功物語

アディス市内あちこちで見られるハイレ・ゲブレシラシエの広告。アスリートとして成功し、その後ビジネスマンとしても成功しているハイレはエチオピア人の憧れの的だ ©Kiyori Ueno

アトランタとシドニーの1万メートルで金メダルを取った“皇帝”ハイレは今、エチオピアを代表するビジネスマンだ。ハイレはスポンサー契約や、賞金、レースの出場料などで得た収入をもとに不動産業、ホリデーリゾートの“ハイレ・リゾート”やスポーツ・ジムなどいくつものビジネスを経営している。アディス市内ではハイレの巨大なポスターがビルに貼られ、多くのエチオピア人にとりハイレはあこがれの的だ。リタイアした後はビジネスに転向するというのはエチオピア・アスリートの世界ではよくあることだ。

センベレも将来はリタイアしたらビジネスをやりたいという。「でもなるべく長く、32歳ごろまでは走っていたい。東京五輪にも行きたい」と静かにほほ笑む。

“裸足のアベベ”は1960年代のアフリカ諸国の独立という歴史的背景のなか、(サブサハラ)アフリカ人として初めて金メダルをもたらし、4年後の東京五輪では靴を履いて走った。急性虫垂炎の手術からわずか6週間後だったにもかかわらず、金メダルを獲得し世界を驚愕させた。

EOCによると、エチオピアは出場競技種目としてはこれまで陸上、サイクリング、水泳のみの出場。それも陸上はランニングのみで水泳は前回のロンドン五輪が初出場で今年は2人選手。サイクリングは今年24年ぶりに1選手が出場する。今年の代表団は過去最高計約40人になる予定だ。「エチオピアの今の国としての発展段階を考えると、この数が精一杯だ」とEOCのアベベ・コミュニケーション・エクスパートは言う。EOCがオリンピックのメダリストたちに出す報奨金は、一定の決まりはないが、前回のロンドン五輪では金メダリストには自動車、銀銅メダリストには「少しの賞金」(アベベ・エクスパート)だったという。

多額の資金を必要としないランニングは発展途上のエチオピアが世界で勝てる少ない種目だ。そしてエチオピアのアスリートたちにとり、走ることは貧しく、厳しい生活からの脱却をも意味する。高地という厳しい環境ゆえに形成された強靭な身体能力と精神力。アベベが56年前に世界に見せたたぐいまれな力が、現代のエチオピアのアスリートたちにも確かに受け継がれている。

(文中敬称略)

上野 きより ジャーナリスト、元国連職員

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うえの きより / Kiyori Ueno

ブルームバーグ・ニュース東京支局、信濃毎日新聞社などで記者として働いた後、国連世界食糧計画(WFP)のローマ本部、エチオピア、ネパールで働き、食糧支援に携わる。2016年から独立。慶應義塾大学卒業、米国コロンビア大学院修士課程修了。東京出身

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