オバマ訪問1カ月、広島は何が変わったのか 外国人の訪問は急増しているが…

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今年度は既に6月までの3カ月間で45.7万人(うち外国人11.8万人)を超えており、過去最高となることはほぼ間違いない。

近年の外国人来館者数の増加はインバウンドブームと無縁ではない。「JRの訪日外国人向けツアーでは宮島とここ(平和記念公園)がセットになっているし、外国人がよく使う観光情報サイトでも、ここが必見のスポットとして紹介されているらしい」(広島市内のタクシー運転士)。

外国人来館者は主に「あくまで自分の肌感覚だが、アメリカ、イギリス、フランスやロシアといった欧米諸国の人が多く、アジアだとインドやパキスタンの人。台湾や香港の人は希にいるけれど、中国本土の人は来ていない気がする」(平和記念資料館で入館者の案内役を務めるヒロシマピースボランティアの村本純二氏)という。

村本氏は英語が話せるため、外国人来館者と直接話す機会も少なくない。母国が核保有国であっても「驚くほど核に対する知識がなく、怖さを理解していない。母国が核を保有していることは知っていても、何発持っているかとか、世界中で1万5000発存在していることとか、一部の国同士の紛争でそのごく一部が使われただけで、発生する煙によって地球全体の日光が遮断され、甚大な農業被害が引き起こされて食糧危機が起きるということも知らない。ほんの少し使っただけで地球全体が壊れる、と言うと驚く」という。

喪服を着て、毎日供養塔に通い続けた

原爆供養塔(筆者撮影)

今年で47回目を迎えた大宅壮一ノンフィクション賞。今年度の書籍部門の受賞作品は『原爆供養塔-忘れられた遺骨の70年』だった。著者は広島テレビ出身のジャーナリスト堀川恵子氏。原爆投下直後に広島市内に入って被爆した、入市被爆者・佐伯敏子さんの半生を軸に、20年以上に渡る取材を経て執筆した大作である。

タイトルの原爆供養塔とは、7万人もの被爆者の遺骨が無縁仏として安置されている、平和記念公園の片隅にある慰霊の塚である。佐伯さんは、1970年代後半から約20年に渡って毎日欠かさず喪服を着てここに通い続け、周囲を清掃し、近くのベンチに腰掛け、時には語り部として体験を語り一日を過ごした人だという。健康上の理由で今は通えなくなったが、現在もご存命である。

森重昭氏が平和記念公園近くのビル裏手に自費で設置した米国兵慰霊碑(筆者撮影)

オバマ大統領と抱き合う姿が世界中のメディアで報じられた森重昭氏は、8歳の時に被爆。戦後は会社勤務の傍ら、1974年から30年以上にわたり、被爆した米兵捕虜の身元調査を続けた。被爆者に国籍は関係ない、という思いで続けた調査によって、最終的に12人の身元を特定。原爆による死没者として広島市の名簿登録を行う一方、遺族に被爆の事実を伝える活動を続け、自費で慰霊碑もたてた。その経緯をしたため、2008年に『原爆で死んだ米兵秘史』を上梓している。

「広島文学資料保全の会」は、原民喜、峠三吉、栗原貞子といった被爆作家の作品を後世に残すべく、ユネスコの世界記憶遺産への登録を目指している。

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