中国人殺到!「愛知の急須」ここが斬新だった 地道な取り組みが生んだ、巨大な化学反応

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香港からのグループ。前日に着いて、飛騨高山などに向かう前に寄ったとのこと(筆者撮影)

中国と常滑の橋渡し役を担う人物もいる。「常滑に春をもたらす人」と親しまれる上海出身の常春氏だ(「常」は中国でもやや珍しい姓)。常氏の本業はソフトウエア開発請負会社の社長だが、海外とアクセスのいい常滑に2008年に引っ越してきたところ、常滑焼の魅力に惚れ込んでしまった。

「引っ越したからには、地元で何か仕事がしたくなった。IT業界は非常に波があるので、まったく違う事業を展開したかった」と常氏。常観堂という店を開店し、訪日中国人向けに急須など常滑焼の販売を開始する。

また、急須の最大生産地であり、中国では「急須の故郷」として知られる江蘇省宜興(ぎこう)と常滑を行き来し、常滑焼のブランド価値をPRするなどの支援にも傾注してきた。

約100年途絶えていた「友好関係」が動き出した

上海出身の常春氏。手元にあるのが常滑の急須で、テーブルにあるのが宜興の急須。取っ手の位置が違う(筆者撮影)

自ら常滑焼の歴史や、中国の急須、茶道文化の日本への伝播経緯なども研究してきた常氏は、「1878年に宜興から金士恒という陶工が招かれて、その技術がこの地に伝授されたことで、常滑の急須は芸術的な伝統工芸品として昇華されていった」と説く。

宜興と常滑の交流はその後、100年ほど途絶えてしまっていた。だが、常氏が宜興陶磁器博物館などに積極的に足を運び続けた結果、この6月18日に、常滑と宜興の陶磁器団体は技術交流や販売ルートなどでの協力を含む「友好関係」の締結を行った。

「爆買い」や一過性のブームに満足するのではなく、歴史と信頼に裏打ちされた中国との交流関係を発展させることで、常滑焼の人気を定着させようとする関係者の取り組み。地道ながらも、地に足の付いた戦略がどのような進化を見せるのか、今後に期待したい。

竹内 一晴 ジャーナリスト

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たけうち かずはる / Kazuharu Takeuchi

1970年名古屋市生まれ。早稲田大学政治経済学部政治学科卒。大手芸能事務所、CS演劇専門放送局プロデューサー、写真週刊誌専属記者等を経て2004年からフリー。報道・表現の自由、大学自治、韓国社会事情、カラオケ、アイドル等の記事を執筆。田島泰彦編『個人情報保護法と人権―プライバシーと表現の自由をどう守るか』に論稿掲載。48グループの推しメンは松井珠理奈(SKE48)、注目株は山田菜々美(AKB48・Team8)だが、全メンバーを公平に見ることをモットーとする。

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