教養は「五感の曇り」を消す最大の助けになる 誰しも、自分のことを案外分かっていない

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「多くの人は自分にだまされている」という知見を得られると、当たり前の話だが、「自分もそうかもしれない」という思いを抱く。そうして、謙虚になれるのだ。今の自分の思いというものを素直には信じなくなる。そうして、その奥にある本当の自分というものに気づけるようになる。

自分の奥にある本当の価値を知るということは、ぼくにとっては心が洗われるような体験だった。それまでは気づかなかった、度の強いメガネを外したような気持ちだ。心が晴れ晴れとし、とてもすがすがしい気分が得られる。

人間は、誰しも自分を媒介に世の中を知覚している。自分の目や耳やその他の器官を使うのはもちろんのこと、自分の心を通して事象を把握している。だから、その肝心の五感や心が曇っていると、世の中を正しく認識できないのだ。

自分の「ピントがずれている」ことに気づく瞬間

自分を知るというのは、いうならばその五感や心がどれだけ曇っているかを知るということである。そしてそれを知ることができれば、その曇りを可能な限り取り除くことができるので、これまでよりクリアに、自分も含めたこの世界そのものを認知できるようになるのだ。

ぼくは、これがおそらく悟りと言われているものの一種だと思う。ぼくは30歳のときと37歳のときに、二度この悟りに近い境地を得た。振り返ってみると、そのいずれでも気づかされたのが、自分の用いていた器官が機能障害を起こしているということだった。どこかピントがずれているということだ。

それに気づけたことによって、ぼくはそれを修正することができたのである。そうして、自分を含めたこの世の中をより正しく、より率直に認識できるようになったのだ。

ぼくは、教養というものは、この「自分を知る」ということの目的で身につけるものではないかと考えている。

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