中年のゆがんだ“mixi愛” 好きだから、いじめちゃう?
依存症を引き起こしたのは、「赤文字」と「足あと」だ。書いた日記にコメントが付くと「新着コメントがあります!」と赤い文字で告知が表示され、わくわくしながらクリックしたものだった。足あと機能で自分のページのアクセス履歴を確認し、日記を読みに来てくれた人の顔を想像するのも楽しかった。
赤文字が見たくて、足あとを付けて欲しくて、日に何度もmixiにログインし、ネタをひねり出しては日記を書く。mixiから離れられなくなり、勉強や仕事や家庭に支障を来した人もいた。筆者は仕事に大いに支障を来した。
「コミュニティ」機能は、SNSの面白さを教えてくれた。二度と会うことはないだろうと思っていた中学校の同級生と、中学校のコミュニティで再会を果たしたり、ニッチな趣味の仲間を見つけたり、珍しい病気を共有する仲間と出会ったり。mixiがなければあり得なかった出会いに感動し、「インターネットってすごい!」「SNSってすごい!」と感動した記憶が、当時のmixiユーザーの間には共有体験としてあったと思う。
みんながどれだけ深くmixiを愛していたか。それを象徴するのが04年8月に開かれた「mixi版無敵会議」だ。mixiは当時、運営会社イー・マーキュリー(現在のミクシィ)の持ち出しで、赤字運営を続けていた。それを伝えるニュース記事を読んだユーザーが、「mixiがなくなっては困る」と、mixi黒字化のためのビジネスモデルを考えるイベントを、自発的に開いたのだ。イベントにゲストとして登場した同社の笠原健治社長は、ファンの熱い思いを目の当たりにし、とてもうれしそうにしていた。
あの頃は、幸せだった。私たちとmixiは、強く愛し合っていた。いつか別れが来るなんて、想像もしていなかった。
好きすぎて、重かった
mixiユーザーが増えるにつれ、マイミクに友人や同僚、親戚なども増えていった。マイミクが増えると、いろいろな人の目線を気にせざるをえなくなり、書けることが減っていく。足あとや赤文字がもたらすねっとりとしたコミュニケーションも、徐々に負担になっていった。「足あとを付けてくれた人のページに、足あとを返さなきゃ」「コメントくれたから、返さなきゃ」――交流に義務感が伴いだし、mixiとの付き合いが重たく感じられるようになってしまった。
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