中年のゆがんだ“mixi愛” 好きだから、いじめちゃう?
復縁はあるのか
「mixiは俺たちが育てた」。古参ユーザーは、今でもそう思っている。だからこそ、「3年前から使ってないけどね」とか、「俺たちが使っていたころにこうだったらよかったのに」と言いながらも、mixiの新機能や新サービスを上から目線でネチネチと批評し、不具合があれば鬼の首でも取ったように批判する。「もしかしたら、また仲良くなれるのかもしれない」。そんな希望も捨ててはいない。
この感情は、ほかのサービスにはないものだ。mixiと同時期に誕生したGREEも、当初はネット好きの若者に熱狂的に歓迎されたが、07年に突然、アバターやゲームを中心とした携帯電話中心のサービスに衣替え。古参をすっぱり切り捨てて課金ビジネスに邁進し、急成長をとげた。古参にとって初期のGREEとの思い出は、小悪魔女子との一夏の恋のような、振り返ると耳をふさいで「うわああああああ」と叫びながら駆け出したくなるような、黒歴史になってしまっている。
だがmixiとの思い出は、初めての彼女との甘酸っぱい恋だ。mixiも機能変更を繰り返したが、GREEほどドラスティックなものはなかった。変更のたびに古参はブーブー文句を言い、mixiはその対応にいつもあわあわし、方針をぶらすことも少なくなかった。古参はそんなmixiを情けなく見つめるとともに、ちょっとかわいく思っていた。常に隙があり、ユーザーの意見に直面しては動揺するmixi。萌える。
mixiは今になって「ユーザーファースト」を掲げ、ユーザーの意見を傾聴すると言い始めた。あれだけかたくなに廃止へと動いた足あとも、復活の方向で動いている。今更遅いよ、私達の恋はあの時終わったの。私には新しい恋人、Facebookがいるんだから……(Twitterから早々に乗り換えた)と、mixiからの復縁の申し出をかわしつつも、実はちょっと気になっていて、「mixi年賀状」の季節になると、mixiにログインしてみたりしている。
私たちはmixiを愛していたし、mixiも私たちを愛していた。何かきっかけさえあれば、焼けぼっくいに火がつくかもしれないという思いは、今でもチリチリとくすぶっている。
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