サンマの町・女川 マイナスからの船出 壊滅的被害を受けた漁港に山積する課題
一方、冷凍冷蔵設備の復旧は難航している。水産加工会社がそれぞれ冷凍冷蔵設備を所有しており、合計5万3000トンの貯蔵能力があった。津波でその8割が機能を喪失したまま、費用がかさむため自前で再建できずにいた。
そこに中東から救いの手が差し伸べられた。今年10月13日、カタールからの寄付金20億円を元に、漁港の近くに6000トンの大型冷凍冷蔵設備が完成。この冷凍冷蔵設備は高床式で、1階部分は津波を受け流す構造になっており、最上部に避難場所も設けている。
この設備を共同利用することで水産加工会社が事業を再開する道筋がついた。「この設備を核に、離散していた仲間が女川に戻ってくることを期待している」と女川魚市場買受人協同組合の髙橋孝信理事長は語る。
設備だけでは再建できない
少しずつではあるが、加工場の再建も進んでいる。
震災前、女川町では人口の約半数が水産加工業に携わり、買受人協同組合には54社もの水産加工会社が加入していた。その多くが津波で加工場を失った。
佐藤水産もすべての設備を失った会社の一つだ。設備だけではない。総勢54人の会社で、中国人研修生を全員無事に高台に避難させた佐藤充専務を含む3人を失った。
同社は震災直後、事業を断念し、従業員らをいったん解雇した。昨年6月、ウニの漁期中に10人での再スタートを決意。仮設の加工場を構えた。従業員や中国人研修生の再雇用は40人まで拡大した。だが、「これ以上の採用は、仮設ではなくきちんとした工場がないと難しい」と、亡き佐藤専務の後任として事務全般を担う25歳の石森圭さんは語る。
ゼロどころかマイナスからの再スタートを余儀なくされている多くの水産加工会社にとって、加工場を自助努力だけで再建することはほぼ不可能だ。佐藤水産は女川町のほかの水産加工会社とともに中小企業庁のグループ補助金を申請。今年7月の第5次公募でようやく採択された。
もっとも、すぐに工場再建に取りかかれるわけではない。補助金が交付されるまでのタイムラグもあり、地盤沈下した土地のカサ上げが完了していないからだ。生産能力を元に戻せる日がいつになるかはまだ見えていない。
設備を再建できても、売り上げの回復にはまた別の問題が横たわる。
ホタテやサケ、タラなど多くの魚種を扱っていた水産加工会社・岡清。女川に持っていた二つの工場とも全壊した。昨年7月に加工場を一部修理し、加工事業の再開にこぎ着けたものの、魚種の取り扱いは震災前のごく一部にとどまっている。
岡清の場合、生産能力の問題よりも、被災により製品を出荷できずにいる間に、他産地や外国産の水産物に奪われてしまった取引先を取り戻せなくなることが大きい。「(取引先には)おまえがいない間、あっち(他産地)も頑張ってくれたんだよと言われてしまう」と、岡明彦専務は悔しさをにじませる。
このように多少の復旧は見られるが、課題は山積みだ。しかし、被害の甚大さを考えれば、それは当たり前なのかもしれない。むしろ、三陸の被災地の中では、女川の水産業の復興は進んでいるとさえいえる。
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