タイの指導者にも、こういった教訓を学ぶ機会があった。タクシン元首相は2001年以降、古い政治秩序を弱体化させながら、民主化を利用して大成功を収めた。しかし、汚職と権力濫用の疑惑を受けて抗議行動が広がり、2006年9月の軍事クーデターで退陣。亡命と刑事告発を余儀なくされた。
軍司令官らは、それ以降タクシン氏の影響力排除に努めた。しかし、同氏は地方の貧困層を基盤に巻き返しを図り、紆余曲折を経て、同氏の妹であるインラック氏が2011年の選挙で勝利して政権を獲得した。
インラック政権は2013年、タクシン氏に対するすべての刑事告発を取り下げて有罪を覆し、本国復帰を認める恩赦法案を発表。こうした姿勢はさらなる街頭抗議を招き、翌14年5月に再び軍事クーデターが勃発した。
それ以来、プラユット・チャンオチャ氏を首班とする軍政が続いている。独裁組織の国家平和秩序評議会(NCPO)はプラユット氏に絶対的な権限を与える暫定憲法を起草。同氏は議会と政府を牛耳る一方で反体制派を軍の兵舎に拘留。人権運動家は脅迫され、ジャーナリストは日常的な嫌がらせを受けている。
タイがミャンマーに学ぶべきこと
NCPOは8月の国民投票で憲法草案の是非を問う予定だ。草案が承認されれば2017年に選挙が実施されるが、上院は軍が支配する形となるほか、議員でなくても首相に就任することが可能になる。
当然、市民社会と各政党は、あからさまに非民主的な草案に反対の意志を表明してきた。しかし、軍司令官は軍政の長期化に向けて本腰を入れている。タイの前途に無秩序が待ち受けているのは、ほぼ確実とみられる。
タイに必要なのは、ミャンマーが達成した妥協や和解だ。両サイドがいずれも勝てないと認めた時のみ、取引と交渉が、二極化と政治危機に取って代わることができる。ミャンマーの軍事政権がそこに到達するまで約50年を要した。人々はタイが、もっと早くそこにたどり着くよう願っている。
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