昔から「解散では首相はいくら嘘を言っても許される」という格言がある。やるかやらないか、やるならいつやるかは首相の専権事項で、それは野党も承知のはずというわけだ。であれば、野党の解散要求はもともと無理筋で、参議院の多数を背景に特例公債法案などの重要法案を人質に取って解散を迫るやり方は筋違い、横暴という意見が正論となる。
首相は、自公両党が重要法案を放置したまま解散要求を続けると、国民の批判が高まり、最終的に相手が手詰まりとなると読んで、どちらが先に根負けするかというチキンレースに挑む作戦かもしれない。
だが、その作戦に国民の批判が集まる可能性もある。
首相にすれば不本意だったとはいえ、党首会談で「近いうちに」と述べた意味と責任は大きい。国民との約束といってもいい。観測や意向の一方的な表明なら嘘が許されるかもしれないが、約束して破れば虚言だ。
国民が首相を信用しなくなれば、政権は持たない。
戦後の歴史を振り返ると、首相がフリーハンドを棄て、野党側との合意に基づいて解散を行った例はいくつかある。専権事項には違いないが、国政全体を判断して首相自ら解散権を縛る判断を下したとしても、それが理由で首相のパワーが急失速するわけではない。
野田首相が今国会の会期中に「予算編成後の年末または1月解散」を確約して重要法案の処理を求めれば、手詰まりの自公両党は同意するしかない。落とし所はそのへんではないか。のらりくらりの「どじょう首相」も、ここまでくれば解散の覚悟を決めるべきだ。その決断も下せないほど弱体なら、「解散できなかった首相」として終わることになる。
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