期待役割と陥りがちな思考の罠とは? ミドルリーダー座談会-Part1
荒木:きちんとアジャストさせるためには、社長の言葉を額面通りに捉えても、あまり意味がないというか肝心のところを外してしまいますよね。社長の言葉の意味を真に理解するためには、社長が見ている風景、背景は最低限、押さえなくてはならない。意味不明な断片的なキーワードにも、何らかの背景があるわけで・・・まぁ、ない場合もたまにありますが、それは置いておいて(笑)。で、背景情報をファクトとして知るだけでは、もちろん足らなくて、情報を解釈して意味を抽出するためには経営のセオリーのようなものが必要になってくる、と。
戸津:それができないミドルは“伝書鳩”でしかないですよね。社長の言ったことを部下に伝える係。たとえば全社方針として「店舗の接客レベルを向上させよう」みたいな話をすることはあります。けれど先ほどの井手さんのお話にもある通り、具体的な施策は例えば「牛角」と「しゃぶしゃぶ温野菜」という二つのブランドだけをとっても、別なものであるべきなんですね。なぜならサービスを受ける対象となるお客様の像が全く違うから。或いは、ベンチマークすべき競合も全く違うから。さらに、それをしたとき売上や利益にどれだけ影響がでるか。そうしたことを俯瞰しながら全体のバランスをとっていく必要があります。「そこはトップが考えるべきことだ」と言われれば、確かにそうなのかもしれません。けれど環境というのは考えている間にも変化を続けているものです。ですから全体的な方向性を、事業単位あるいはミドルの領域へ即座に修正するような機能を高めていくことが、組織としての強さに結びつくと私は信じています。
藤井:今、戸津さんが言われたことは、ミドル自身やその部下となる人々のモチベーションという観点からも非常に重要であると思います。戦略的な意図を抜きにしたままに「あれをやれ」「これをやれ」と言うだけでは、人を本当の意味で動機づけ、熱心に動いてもらうことはかないませんから。それは私たちにも言えることで、大きな背景を理解する重要性は日々、感じているところです。
井手:本来であればミドルの下につくメンバーも同じような発想が必要ですよね。単に教えてもらうのを待つのではなく、アルバイトの方までが「店長の方針を実現するには、どう動けばいいのか」と考えている組織が理想です。そのなかで芽を出した人が、次のミドルリーダーになっていくのだと思います。
荒木:とは言え、板挟みになってしまう人もいませんか。なんでもかんでも「上の人が言うのだから」で丸飲みにしてしまい、それで下から反発を食らうと、「いや、文句があるなら上に言って」というような(笑)。
井手:だからミドルリーダーが戦略を“自分のもの”にすることが大事なのではないでしょうか。きちんと理解しなければ、上司に文句を言いたくなる気持ちも生まれなければ、部下に説得力のある説明もできない。戦略を身の丈にあったものに置き換えていく作業が大事になると思います。それを各組織、各階層の人たちがやっていくと、上の意思が大変スムーズに下へ届いていきますよね。
荒木:機能化、専門化といった流れの中で、「まあ、戦略は上で考えてください。私はとにかく専門職として、言われたことを実行しますので」みたいな人も出てくるのではないかと思うのですが、例えば人事でそうした問題は起きていないですか?
藤井:おそらく今までのほうがそういう人たちが多かったと思います。“プロフェッショナル”というより、“凝り固まった職人さん”というと近いかも。でも、人事という部署は本来、経営のパートナーでなければならないんですね。経営者が考えていることの理解なくして成果は出せません。彼らがしたいことを実現できる人や組織を作っていかれなければ、単にルーチンワークを行うだけの部署ということになってしまいますから。
戸津:単なる定型作業だけをする人ということになっていまいますね。。
藤井:そうなんです。しかも人というのは急に育てようとしてもなかなか思うようには育ちませんから、むしろ経営の先を行くぐらいの気概でやらなければならない。会社の何年か先を見据えたときにどういう人が必要で、そのためにどのように教育するか、あるいはそもそもどういった人を採用するのか--。そう考えると、人事戦略も会社の大きな戦略に従ってつくらなければいけないと考えています。グロービスの授業で教えていただいていることと同じですけれども(笑)。ただ実際には、人事担当者でその辺もかなり深く理解して動いていらっしゃる方は多いと思います。
井手:人事というのは一番足が長いですからね。人を採用する、そして育成するという点に関して、最も長期的な戦略が必要だと思います。
藤井:育成は特にそうですね。急に言われても「2~3年待って下さい」という感じになってしまいますから(笑)。言い換えれば、上に言われなくても「どういう人を育てなければいけないのか」ということを自分たちで考えていなければいけないと思っています。