「君が代」が今まで滅びず生き延びてきた理由 「消極的な肯定」という言葉に尽きる
「君が代」に対する消極的な肯定
戦後の日本人の「君が代」に対する態度は、「消極的な肯定」という言葉に尽きる。
日本人の多くは「君が代」を積極的に人前で歌ったりしないし、歌詞の意味もよく理解していない。しかし、だからといってこれを別の国歌に変えるつもりはないし、質問されれば「いい歌じゃないですか」「これが国歌でいいんじゃないですか」と答える。学校行事やスポーツの試合で、斉唱・演奏されても「まあ、こんなものか」と思って受け入れ、次の日には忘れてしまう。
「君が代」に関しては、とかく絶対肯定と絶対否定という両極端の意見が目立ちがちだ。だが、日本人の多くは両者の対立を冷ややかに眺めているのではないだろうか。
そんな「君が代」に対する態度は、1960年代前半の各種の世論調査からも見て取れる。この時期は、1964(昭和39)年の東京オリンピックの開催を控え、元号、国旗、国歌など国の公式制度に対する関心が高まっていた。政府機関がこれらの法制化を検討したこともあり、「君が代」をめぐっても盛んに調査が行われたのである。
最初に、1961(昭和36)年6月、内閣官房広報室によって行われた「青少年に関する世論調査」の結果から見てみよう。対象は満16歳から19歳までの未婚の男女3000人。つまり、戦後に教育を受けた世代ということになる。
「君が代」に関する質問事項は次のとおり。まず、「『君が代を聞くと、身が引きしまって頭が下がるような気持がする』という人がいますが、あなたもそのような気持ちがしますか、それとも、別にそのような気持ちはしませんか」という質問。これに対し、実に71%の人々が「別にそのような気持はしない・不明」と回答した。「君が代」はもはや神聖なシンボルと見なされなくなっていたようだ。
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