カナダ「イケメン首相」が期待を集めるワケ 政界入りからたった7年
30歳で教職を離れると、オバマと同じように環境問題やコミュニティーサービスをめぐる活動に入った。教育、環境、経済をとりまく状況について、若い有権者が自分たちの声を代表する人物を待望していることに気づく。
「世代交代による変化が近づいているのを感じた。それは、新たな可能性を開くかもしれないものだった」(自由党ウェブサイト)
08年の下院選挙に出馬したが、スタッフは当初、妻のみ。食品ストアの駐車場で看板を持って支持を訴え、初当選を果たした。だが、政権の座を長年占めていた自由党はすでに下野しており、11年の下院選ではさらに議席を減らして第3党に転落した。結党以来の危機。トルドーは政界入りからわずか5年後の13年、「保守党のハーパー政権下では、取り残されている国民がたくさんいる」と訴え、党首選に立候補した。有力な対抗馬だったカナダ人初の宇宙飛行士が、
「特別な時期には、特別さを感じさせる党首が必要だ。トルドーにはそれがある」
と出馬を辞退。結果はトルドーの圧勝だった。
そして15年10月、党首として初めて迎えた総選挙。自由党は支持率3位からスタートしたものの、最後の1カ月間で急速に支持を伸ばし、与党・保守党、野党・新民主党を破って圧勝した。党にとっては、約10年ぶりの政権奪回。トルドーにとっては、父ピエールが15年間座り続けた首相のいすに、約30年ぶりに返り咲いたことになる。
父の首相時代 仏語を公用語化
ピエールは、戦後のカナダを形づくった「名首相」とされ、若者の支持者は当時、「トルドーマニア」と呼ばれていた。1期目は1968年から11年間、2期目は80年から4年間と、長期政権だった。英語とフランス語の2カ国語の公用語採用や多文化主義、国連における平和推進など、リベラルな政策を次々打ち出した。
一方、70年、カナダからの分離を主張するケベック解放戦線が、政府要人を拉致する事件を起こした際は、ケベック州に軍隊を派遣するなど強硬姿勢で、危機を乗り越えた。
06年に就任した保守党の前首相ハーパーは、財政赤字の解消、犯罪率の低下などの功績の一方で、ピエールが築いたリベラルなカナダのあり方を変えようとしていた。地球温暖化問題には懐疑的で、国際的なテロリズムと戦うため空爆を支持し、国家安全保障を重視。いわば「タカ派」的な政策を展開していた。
対するトルドーの選挙戦のスローガンは「リアルチェンジ」と「サニーウェイズ」。後者は「北風と太陽」の太陽の意味を掛けている。中間層の底上げや若者の教育問題対策、移民・難民・マイノリティーの平等、気候変動問題への取り組みと、徹底的にリベラルな政策を訴え、父ピエールの自由党時代の復活を狙った。