日本では、なぜ略奪も暴動もおきないのか 「既読スルー」「空気を読む」に疲れる日本人

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 「ねたみ」の意識が働き、隣人の差異に敏感、出る杭は打たれるし、たとえば下手に金遣いが荒くなったら、「何か悪いことでもしているのでは」と噂も流される。治安の良さを実現する一方、人によっては閉塞感に満ち生きづらい。

日本人にとって法律とは?

興味深いのは刑法学者の著者が諦めの境地で「日本人は法律を信じていない」と強調する点だ。 

日本人は法のルールに反するよりはるか手前で、世間のルールに反し、「世間」のウチからソトへと排除されることをつねに恐れている。

 

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ウチとソトが明確で排他性が強いからこそ、世間のルールへの同調圧力が強く、過度の自己抑制を要求される。危害のベクトルが他者より自己に向きやすいために、犯罪率は低いものの、自殺率の高さにつながっていると指摘する。

「世間」は解体されてきていると思う方もいるかもしれないが、著者の主張は真逆だ。詳しくは本書に譲るが、新自由主義の拡大に伴う世間の復活と前景化こそ本書の最大の論点だ。秋葉原無差別殺傷事件、「黒子のバスケ」脅迫事件、佐世保高一女子同級生殺害事件を「世間」を軸に分析する章もこれまでの3事件の解析とは異なる視座を与えてくれる。

世間には排除だけでなく、相反する包摂の性質も持つ。犯罪者をケガレとして排除するだけでなく、真摯に反省し謝罪する犯罪者をゆるして包摂する側面がある。

年明け早々の好感度ナンバーワンタレントの騒動やスーパーアイドルの公開謝罪も「世間」抜きでは語れない今(別に刑法に触れたわけでもないのだが、犯罪でないにもかかわらず無関係な誰かに謝らなければならないからこそ「世間」は権力であり執拗なのだが)、本書で「世間」と「罪」について考えてみるのも悪くないのでは?

栗下 直也 記者、批評家

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くりした なおや

1980年生まれ、東京都出身。記者、批評家。横浜国立大学大学院国際社会科学研究科経営学専攻修了後、専門紙記者のかたわら書評サイト「HONZ」や週刊誌、月刊誌などでレビューを執筆し、22年に独立。新橋系泥酔派を自認するが、酒場詩人は目指していない。著書に『人生で大切なことは泥酔に学んだ』(左右社)、『得する、徳。』(CCCメディアハウス)、『政治家の酒癖 世界を動かしてきた酒飲みたち』(平凡社新書)など。

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