中台関係の変化とは大きく分けて3つある。意識変化、経済関係の変化、安全保障環境の変化だ。
第1に、台湾人の意識変化だ。台湾では、台湾人のアイデンティティを問う世論調査が1990年代以降行われており、2013年8月に実施されたある民間の世論調査によると、「台湾人と呼ばれたいか、それとも中国人と呼ばれたいか」という質問に対して、82.3%が「台湾人」と答え、「中国人」と回答したのはわずかに6.5%であった。また別の調査では、自分を「台湾人と思う」と答えた人は、2000年の24.4%が2014年には57.1%に増加している。
具体的な数字や質問内容は微妙に違っているが、台湾人の間で、「われわれは中国人と違う台湾人だ」という意識が顕著に増加している点では同じ結果だと思う。
2014年3月に学生による「ひまわり」抗議運動が発生したきっかけは政府が民意を無視して強引に中国とのサービス協定を締結したことであったが、若者の台湾人意識が強くなっていたことの反映であった。
中台関係は経済面でも大きく変わった
第2に、経済面での中台関係の変化である。台湾と中国との経済関係が増大し始めたのは1990年代に入ってからであり、それ以来、民進党の政権下で一時的に後退気味になったこともあったが、貿易も投資(投資は特に台湾からの投資)も傾向としては増大し、台湾からの投資が中国への全投資の4割近くを占めたこともあった。台湾にとって中国は重要な取引先・市場となり、台湾の中国に対する依存度は顕著に高まった。
しかし、2011年から中国への投資は減少傾向になり、2013年ころからは台湾企業の撤退が顕著になった。その原因となったのは、賃金の上昇や労働争議の多発などであり、それに中国経済の成長鈍化が拍車をかける結果となった。
台湾企業が向かった先は東南アジアだ。まだその数と投資金額は中国市場に遠く及ばないが、今後も台湾企業の中国からの撤退が続けば、台湾の中国への依存度はいっそう低下する。
8年前に選挙では、多くの台湾人が中国との経済関係の悪化を懸念するがゆえに台湾人としての心情を抑えて国民党に投票したが、そのような圧力が軽くなったことの意味は大きかった。
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