三菱地所が多くのビルを保有する東京・丸の内。かつては銀行の店舗ばかりが目立っていましたが、今では海外のブランドや有名レストランが軒を並べる、華やかな街へと変貌を遂げました。
変わるきっかけは、1980年代半ばまでさかのぼります。私が営業部長のとき、アメリカの不動産事情を視察したことがありました。郊外のショッピングセンターに行くと、店ごとに外観が違う。たとえばカジュアル衣料の「バナナ・リパブリック」は店の前にヤシの鉢が置かれてジャングルのようになっている。「ベネトン」はあでやかなグリーンを店のシンボルカラーにしている。勢いのある店はこうやって店の顔をつくるんだな、と知りました。
時代に合わなくなる
ちょうどその頃、丸の内の南側にある有楽町ビルに、ファッションや雑貨を扱う「サザビー」が出店しようとしており、創業者の鈴木陸三さんが、店の外観に手を加えたいと言ってきたのです。アメリカでのことが念頭にあった私はすぐOKを出しました。
それまで丸の内一帯のビルは、派手な看板を許さない代わりに落ち着いた街並みを見せる「禁欲的な統制美」が売りでしたが、ルールを緩めたことで商業街としての潜在力を発見することにつながりました。社長だった90年代に、丸の内仲通りを大胆に変えられたのも、この体験がベースになっています。
ルールといえば、営業部長時代に同じビルには1業種1店舗という不文律も変えました。三菱地所では、一つのビルには同じ業種の店は一つといったことを続けてきました。
ところがあるとき、文房具店の店長から苦情を言われました。ミッキーマウスのキャラクター商品を取り扱い始めて、ボールペンやノートだけでなくトレーナーやTシャツを置こうとしたら、ダメだと言われたと。確かにキャラクター商品は、日常のいろいろなモノがそろって、商品のカテゴリーをつくっている。トレーナーは服だから文房具店が扱っちゃいかんというのは、不動産会社の視点に立った、こちらの理屈です。ですから、このルールを見直しました。これも営業部長時代のことです。
古くからのテナントの中には競合店ができることに拒否反応がありましたが、新しいテナントからは歓迎されました。競うことでお客様も来てくださる、というわけです。ああ、世の中は変わっているんだ、と実感しました。旧来のやり方を墨守するだけでは時代に合わなくなるということを学びました。
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