20代で抜擢の女性社長がタイで成功した理由 バンコクで実践する「人を大事にする経営」

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社長に就任して7年目。6年目には最高益を更新したが、足元のタイ経済の減速で「今が踏ん張りどころ」と語る幸長加奈子さん
バンコクから車で1時間余、巨大な工業団地の中にその会社はある。ニューエラーインターナショナル。大阪に本社を置く空圧機器・電装品の中堅メーカー(ニューエラー)のタイ現地法人だ。幸長加奈子さんは会社設立とともに26歳で社長に抜擢された。40人の社員を率い、創業2年目に黒字転換。親会社の電装品の7割を生産している。若きなでしこの「成功の秘密」と「これから」を聞いた。

 

――26歳の女性が社長就任。普通、ありえないですね。

戸惑いました。このプロジェクトには親会社の役員や部長さんも参加された。「私なんか社長になると反発が起こります、サポートする側に回ります」と言いました。でも、親会社の会長(ニューエラー・帯包泰博会長)が「あかん。あんたでなきゃ、できんのや。経験不足はこっちがサポートするから」と。「そこまで言っていただけるなら、じゃ、頑張ります」とお答えしました。

――なぜ、そこまでの信頼を獲得できたのでしょう。

そのとき私、日系の切削加工メーカーに務めていました。そこでの経験から、タイ進出についてアドバイスしたんです。

最初、親会社は自社生産ではなく、生産委託を考えていた。私は、今なら、生産委託より会社をつくった方がお得ですよ、と申し上げた。

ちょうどリーマンショックの翌年です。外資の投資件数が減少し、焦ったタイ政府は外資誘致のため、特別奨励業種を拡大したんです。親会社の業種がそれに該当する。今なら、法人税の8年間免除をはじめ特別恩典が受けられる。業界はリストラの真っ最中だから、優秀な人も雇える。工数・人員はこう、資金はこれだけでできますよ、と提案しました。

そうしたら「面白い。幸長さんも入ってくれ」となって……。提案の数カ月後にこの会社が設立され、1年経たないうちにラインが立ち上がりました。

最初はペット用衣料品、5年で年商数百万円

――急転直下の展開ですね。そもそも、幸長さんはどうしてタイに来られたのでしょう。

工業高校のデザイン科を卒業しました。油の匂いが漂う環境だったけれど、あまり製造業には関心がなかった。「進学に意味あるのかな」と悩んでいると、父が「東南アジアが面白いよ」と言ってくれた。それでタイです。混沌と雑踏。今より貧富の差が大きかった。でも、貧しい人々も笑顔で楽しそう。私に合っているな、って。

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