我らはいつクリスマスの「本質」を忘れたのか

クリスマスこそ多様性を受け入れよう

当然、クリスマスを祝おうとすると即座に、迫害の引き金になるような地域もある。過激派組織のイスラム国 (IS) が現在支配するメソポタミアの一部では、キリスト教を信仰する者は斬首される。最悪の場合、不寛容さがそのまま殺意になる。

非キリスト教徒への非難となることのないように、「ハッピークリスマス」と書いたり言ったりすることを好まない人々のことを考えてみよう。この自己検閲はユダヤ教徒やヒンズー教徒、そしてイスラム教徒に対してむしろ無礼なことだ。

キリスト教徒が12月の祭事を祝う際に、非難される原因になるのは何だろう。これらの宗教の祝いの行事がキリスト教徒を非難しているだろうか。確実にそうではない。われわれはキリスト教徒による不寛容や偏見の酷い時代を記憶してはいるけれども。

英国で最近、それらの疑問をうまく乗り越える政治的正当性を示す例が見られた。さまざまなキリスト教徒の団体が主の祈りを唱える映画を、イングランド国教会が製作した。この映画は映画館での広告用として公開されたが、配給業者はそれが他を非難する可能性があるとの理由で上映を禁止した。有名な無神論者でさえ、この検閲の思慮の無さを批判した。

すべての人にメリークリスマス

不寛容さが広がるのは、ジハード信者などが支配する社会だけではない。米国だけでなく、英国の大学のキャンパスでも、学生が他人の自由な言論を否定したり、自らを非難するような歴史を書き直す権利を主張している。これは大学の使命を完全に否定するものだ。

意見の相違は教養ある議論の中心であり、それを否定すれば、リベラルな秩序は破壊する。こうした不寛容の究極的な例が、世界の多くが敵対しているISの宗教的全体主義だ。

今回のクリスマスでの世界に対する最高のプレゼントは、あらゆる場所で自らが寛容さの擁護者となることだろう。過去の過ちにさいなまれることが、現在や未来の残虐性を正当化するわけではないのだ。

だから、寛容の精神の下に、ユダヤ教徒、ヒンズー教徒、シーク教徒、無神論者、不可知論者、消費者保護運動家あるいはキリスト教徒のすべての皆さんに、メリークリスマス。アイルランドのコメディアンのデイブ・アレンがかつて言ったように「神があなたと共にあらんことを」。

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