米国人の私が銃規制強化に「反対」する理由 保守系コラムニスト、ドーサット氏が吠える
果たしてリベラル派は考えたことがあるのだろうか。「禁酒法的」な銃規制を行うとすれば、銃の即売会を禁止したり、11月末に妊娠中絶を行う医療施設を襲ったロバート・ディア容疑者のような孤独な一匹狼たちの武装解除もすることになる 。
だが実際には、マイケル・ブルームバーグ 前市長の下でニューヨーク市警が推進した路上での強引な職務質問・身体検査のようなことが起きるだろう。テロ対策のためと称して結局はイスラム教徒住民ばかりが標的になってしまい、批判を招いたのだ。
フランスの不自由を真似したいのか
銃の保有率が高いのに犯罪発生率の低い地域(例えば民主党の大統領指名候補バーニー・サンダース上院議員のおひざ元であるバーモント州)では、当局は銃の違法所持を見つけても見て見ぬ振りをするかも知れない。一方で貧困層やマイノリティの人々は取り締まりの主な対象とされ、罰金や懲役刑を食らう。
ここで参考になるのは、オーストラリアではなくフランスの例だ。フランスはアメリカのリベラル派が望むような厳しい銃規制を敷いており、銃犯罪による死者もアメリカより少ない。
だがフランスの厳しい銃規制は反自由主義に基礎を置く。これはブルームバーグ的な警察戦術にドナルド・トランプ的な宗教の自由への嫌悪、それに左派の学生運動家が言いだしそうな言論の自由の制限が組み合わさったものだ(ちなみにフランスでは闇市場における武器取引が活発で、テロリストも武器の入手にはそれほど苦労しないと思われる)。
確かにアメリカのリベラル派は、フランス的社会主義への共感を示すことがある。だからと言って彼らが、この反自由主義についても「フランスにならえ」と言いたがるとは思えない。
だが独りよがりではなく幅広い同意を得たいなら、銃規制推進派は行き着く先が反自由主義にならない理由をきちんと説明しなければならない。
(執筆:Ross Douthatコラムニスト、翻訳:村井裕美)
(C)The New York Times News Services
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