「延命治療を拒否した母」「自宅で意識がなくなっていき…」 それでも"最期の3日間"が笑顔だったワケ
昼間の訪問時では利尿剤の注射をした効果か、肺にたまった水分や体内の余剰水分が排出されて呼吸状態が落ち着き、節子さんは少し持ち直した。
聖歌隊の先生が会いに来てくれるというので、「きれいにして会いたい」と言って長沢看護師介助で入浴を希望し、うとうとしながらもむくみで重くなった体を精いっぱい動かして、入浴した。
入院の話はもう本人に聞かない。入院当日の朝、本人の希望があったら入院させようということになっていた。
節子さんに会いたい人が集まって、家の中はにぎやかだ。危篤という雰囲気はまるで感じられない。
節子さんは次男に体を支えられてベッドに腰掛けていた。簡単な挨拶は交わせるが、すでにうとうとして意識が混濁(こんだく)している傾眠状態なので、会話は成立しない。
「群馬のおばあちゃん、大好き!」なんて言いながら、孫たちがにこにこと手をさすっている。
家族はみんな笑顔だった
日曜日。朝から節子さんの意識がなくなり、午後10時半に家族から「息を引き取りました」と電話があった。往診に行くと、靖人さんが玄関の外で出迎えてくれた。
「お世話になりました。いい顔しているから、見てやってください」
家族はみんな笑顔だった。涙で潤んだ目がにこやかに笑っている。入院問題を巡って家族間では葛藤や気持ちのすれ違いもあったが、節子さんは会いたい人たちに会い、入浴も済ませてから入院の前日に自宅で亡くなった。
これが彼女の本音の希望だったのではないか。そして家族をハッピーエンドの看取りに導いたのも、節子さん本人だったのではないか。
ケアマネージャーの内堀さんの話によると、節子さんは尚子さんから感謝の言葉を述べられたことをとても喜んでいたという。


















無料会員登録はこちら
ログインはこちら