積極財政だろうが、緊縮財政だろうが、窮乏化の被害を受けるのは低所得者層だというのは、私たちが実感するところだ。要は、財政政策による影響に配慮しながら、バランスのよい運用をすべきだということだろう。
つまりは、積極財政がいいのか、緊縮財政化がいいのかといった二者択一ではなく、程度の問題だということである。
「借金帳消し」は荒技か
閑話休題。本書が私たちに教えてくれるのは現代貨幣についての認識が、かなり不確かな偏見や誤解によって捻じ曲げられてきたということである。
冒頭のデヴィッド・グレーバーやフェリックス・マーティンが、理論的な分析によってその誤解や偏見を正したものだとすれば、本書は、長期的なデータの解析によってその彼らの理論の正当性を裏付ける試みでもあった。
確かに本書のタイトルが示すごとく、「世界は負債で回っている」。
本書は、この議論の結末として、政策提言を行っている。
その中で、目を引いたのは、古代イスラエルにおいて行われていた「債務救済」である。「債務帳消しは50年ごとに、7回目の安息年の翌年に実行されていた」という。
デヴィッド・グレーバーが言うように、負債とは契約であり、契約は常に変更されるものであるからである。
学費ローン、住宅ローン、医療債務、中小企業向け融資は、成長が鈍化すればたちまち、民間人を苦しめる足かせになる。いったん、債務の泥沼にはまり込むと、そこから脱出することは至難である。個人の努力ではどうにもならない。
私は、自分の周囲で、この泥沼から脱出することを諦めて、自死を選んだ知人を知っている。それは人ごとではなかった。それは、もはや個人の怠惰や努力といったことの範疇を超えたものである。
本書では、示唆するにとどまってはいるが、ここには借金の帳消しという荒技が残されている。負債がマネーを作り出しているのだとすれば、そしてそれが契約なのだとすれば、契約を変更することで、負債の災厄を回避することが可能なのだ。
この契約の変更が、借金を苦にした自死や、廃業、取り立ての暴力、家族の崩壊といった悲劇と引き換えられるなら、考えてみる価値はある。
借金を帳消しにしたところで、銀行の担当者が直接の被害を受けるわけではない。印字によって生まれた負債である。印字を抹消することで、負債を帳消しにすることがあってもよいではないか。
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